なんとなく流通してしまった
「モード」という言葉だが、その言葉を知ってはいても
「では『モード』とはどういうことか」―――それをきちんと説明できる人がどれだけいるだろうか。
しかしこういう術語は、知ってしまえば
「なーんだ」ということが殆どで、
「モード」もその例に漏れない。
「(服飾の)流行」を英語で言えば
「ファッション(fashion)」、フランス語で言えば
「モード(mode)」となる。
この
「モード」という言葉で直感的に思い出すのは、
ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)の翻訳論。なにかの折、恩師にこの英訳をコピーしていただき(その方は
「Xeroxing」という言い方をされていた)、そこまでは非常に嬉しかったのだが、いただいたベンヤミンの方は嬉しいどころの話ではなかった。必死こいて読んだ挙句に、結論がこうある。
Translation is a mode.
これで終わってしまい、これを読んだときの憤りを今でもはっきり覚えている。これがあってから、ヴァルター・ベンヤミンはまったく頼みにならないと頭に刻み込まれ、その後フランス語を覚えてから読んだ
ポールヴァレリー(Paul Valery)にも同様の憤りを感じ、
篠田一士(しのだはじめ)氏が20世紀の三大批評家として選んだうちの二人には、完全にお引取り願うことになった(もう一人はエドマンド・ウィルソンで、この人は信用できる)
またしても
「詐欺」というテーマから調べ始めたファッションだが、やはりというか何というか、相当ウサンクサイ本しかなく、また学術的にまともな本であっても、
「ファッションの意味」=「服を着る意味」というところまで踏み込んでいるものは殆どない。
太田垣晴子(おおたがきせいこ)氏のファッションものは目の付け所がよく、オモシロイ上に行き届いた印象があるが、こっちの欲しい情報はなかなか。一筋縄ではいかなそうだ。