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デフォー『ロビンソン・クルーソー』は、◯◯◯◯の擬人化小説なのでは?な話🙄最近、本格的に「複式簿記」のベンキョーをしてみたところ、『ロビンソン・クルーソー』に複式簿記が出てくると聞き、「そうなの?」というので読み返してみた。 高山宏御大が打ち立てた「タカヤマ文化史」では、『ロビンソン・クルーソー』が基礎文献の扱いだけども、ずいぶん前に原書を買って読んだ時は、「同じ表現が繰り返し出てくるのでやたらと読みにくい💦」という印象。 文章それ自体は平易なんだけど、構文にも単語にも変化がないから、覚えたての英作文が延々と続くような格好で、どうにも素直に読めなかった。 それが今回、自分の側で複式簿記(Double Entry)のベンキョーをかなりキッチリやった上で『ロビンソン・クルーソー』に向き合うと、ありとあらゆるものが「左と右」で表現されてると気づく。 開始早々、海に出たくて仕方ない息子をいさめる父親がこんなことを言ってる: for Men of desperate Fortunes on one Hand, or of aspiring superior Fortunes on the other, (Daniel Defoe, Robinson Crusoe, Oxford World's Classics, 2008, p. 7) 複式簿記では、左をDebit, 右をCreditとして記入していくけど、まんまそれではないか! それこそ複式簿記の参考書の中には、「手元からお金が出ていくときは"右手"、手元にお金が入ってくる時は"左手"とすると分かりやすいですよ」なんて説明してるものもあるくらい。 作者のダニエル・デフォーはロンドンで商人をやっていたそうだから、その必要から自分でも複式簿記を覚えたんだろうけど、その時のものの考え方がまんま『ロビンソン・クルーソー』そのものという気がしてならない。 というのはそれだけ、複式簿記の記入の方法は「直感的でない」んだな。普通の計算であれば「引き算」で処理するはずの損失や損害についても、方式としては「足し算」になるので、これが直感に反して学びにくくなっている。 だからこそ「右手と左手」と言う参考書もあれば、「習うより慣れろ」という脳筋テキストもあり、こうした「力づく」の教授法に、デフォーさんも相当苦しんだと思われる。 で、ニンゲーンは抽象的な思考が得意な人とそうでない人がいるから、抽象的な思考が苦手な人には、そこで扱われるガイネンを擬人化する(=現実にあるものに置き換える)ことで、だいぶとっつきやすくなるーー ということで、「複式簿記を本当に擬人化してみた」のが『ロビンソン・クルーソー』じゃないかと思ったんだけど、どうだろう。 自分はたまたま本式にそっちをやり始めたから今になって気づいたけど、これ、文学というよりも、「📔複式簿記の記入に困った人を助けるための、壮大な擬人化参考書」として考えた方が通りいい気がしてきた。 あとは主人公のロビンソン・クルーソーさん。この人がやたらと「海に行きたい」と言うんだけど、これ、まんま「💰資本」って存在を擬人化してるんじゃないだろうか。 ロビンソンさんの父親には財産もあるから、何もそんな危険な真似をして船旅に出ることはないだろうと、至極もっともなことを言うんだけど、主人公の方のロビンソンさんは、どうにも落ち着かない。しかもその理由も、べつにこれと言って説明されないんだな。 でもこれ、主人公のロビンソンが「資本そのものの擬人化」だとすると、これはどうしても動いていく必要がある。 何でかっていうと、資本は常に(有利な)投資先を求めるから、資本を資本として置いているだけでは利回りもなければ投資した分の見返りもない。 国内に有力な投資先が見つからなければ、国外で探せばいいーーこういう資本(Capital)の性質について、「これを人の形にしてあげれば、知識のない人にもわかりやすいだろう」と考えたんじゃないかなー。 実際、ダニエル・デフォーさんは、色々な企画構想をパンフレットにして提案しまくってきた人だから、「複式簿記やバランスシートの考え方を、知識のない人に教えるにはどうすればいいか🤔」というのを工夫してきたのかもしれない。自分でも覚えるにあたって苦労したんだろうし😅 で、方々で資本は何をやっているかとか、株式とは何かとかを説明しようとしたんだけど、話を聞く側にその知識がなければ、取りつく島がない。毎度毎度「こう考えるとわかりやすいですよ」と弁じ立てるのも、そうラクではない。 ーーという経験が蓄積した結果、「資本そのものを主人公にして、複式簿記の上を歩き回るストーリー」を作れば、これは一種の「ケーススタディ(資本が大きくなって返ってくる)」にもなるから、手間が省けるぞ、なんて。 言ってみれば、プレゼン用のパワポを作る代わりに小説でそれをやった、という風に考えたらどうだろうと思ったんだけど、違うかなー。 やたらと海に出たいと言うロビンソンさんについて、「当時のイングランドにおける新興階級の好奇心」なんて、もってまわった説明をするよりも、「ロビンソン・クルーソー = 資本の擬人化」と考えた方が通りいい気がした。 そうしてみると、「余計なことをしなければ損な目にあうこともない」というロビンソン父のスタンスは、貯蓄や、あるいはそれこそ手持ちCashをBondsに突っ込んでRisk Free Rateで運用しようという立場なのかも。 ところが当時は東インド会社が大立ち回りをしてる時代だから、「資本そのもの」であるロビンソン的には、より高いInterest Rateを求めてそっちに行かざるを得ないーー まだ数ページしか読んでないけど、初読の時と感じ方がまるで変わっていることにビックリしたので、イソイソとブログをしたためた形。 ベンキョーの面白いところは、自分自身のものの見方が拡張されるので、これまでと同じものを眺めても、「見え方が変わってくるので、結果的にタイクツしない」という側面がある。 刺激を外の世界に求めると、ひっきりなしに新しい刺激を求めることになってインフレになってしまうけど、自分の側のモノの見方を変えてしまった方が、モノ自体は同じでも、受け取り方が始終変わるのでタイクツしないーー というのを、あらためて本棚で誇りをかぶっていたロビンソン・クルーソーから感じたという話でした😆
by ulyssesjoycean
| 2022-06-11 11:22
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