第一話を見て何人が気づいたか―――アニメーション
『NANA』は、
『カードキャプターさくら』のスタッフが再集結して作っている。監督は
浅香守生、服装デザインは
北尾勝、キャラクターデザインは
濱田邦彦、そして当然製作はマッドハウス。第一話から、図抜けたレイアウトと色彩構成だったが、その理由はこんなところにある。
『NANA』自体はバカ売れしているが、実は評価が分かれている―――なぜ、というのが今回、第一話を見てはじめて分かった。
小松奈々(ハチ)―――音楽やってない方のナナ―――がこういうキャラクターでは、読者が離れるのも必然。相当なアレな人であるから、熱心な読者であっても、このキャラクターが積極的に好きだという人は殆どいないのではなかろうか。
次にこういう疑問が湧く。どうしてこんな設定にしなければいけなかったのか―――愛読して止まぬ
『季刊エス』に原作者・
矢沢あい氏のインタビューが載っていたが、いくら仔細に読み込んでもそうしなければならない理由がとんと分からない。
「成長過程が描きたい」とのことだが、巻数が進んでも、そういった描写がなされるようになったとは、そのインタビューを読む限りでは思えず、話自体も非常に内面的でドロドロと暗く、それがリアルという評価―――この人も
「成績は良いが頭は良くない」という
夏目漱石の族(うから)か。だとすれば、こっちが
『NANA』に縁遠かったのも頷ける。
自己分析に意味はありません。いくらでも新しい自分が見つかる。ほらこんな自分もあった、あんな自分もあった。いつまでも続けられます。自己は自分の外に見つけるものです。
という意味のことを言った
ミヒャエル・エンデ氏はさすがで、頭のいい人ほど内面世界には踏み込まない。暗い話を内面描写しない。森薫氏の
『エマ』を見よ、今市子氏の
『百鬼夜行抄』を見よ。結局のところ、暗い話ばかりしている人というのは実は楽観主義であって、シェイクスピアの
「最悪と言えるうちは最悪ではない」というように、その先の
「最悪」を体験してしまえば、あとは暗い話をするだけ無意味だというのが分かる。
とはいっても、アニメーションのクオリティが恐ろしく高いのと、
『キャプター』のスタッフが結集!というのであれば、これは見ないわけにはいきませんな。これだけのレイアウトをこなせる作品は、そうあるものではない。