「アフガニスタンにいらっしゃいましたね?」と、ワトソンの経歴をずばり言い当てたホームズ―――この思考法を
「アブダクション」という。
「帰納法(induction)」とも
「演繹法(deduction)」とも違う
「アブダクション(abduction)」―――どうやら
C・S・パースという論理学者が打ち立てた考え方らしい。
(チャールズ・サンダース・パース)
帰納法は経験から原則を見つけ、演繹法は原則から事例を導き出すが、論理学のややこしい説明を抜きにして大雑把に言うと、アブダクションとは
「観察した事実を説明する仮説を立てる」―――
「~かもしれない」の考え方だという。
この一番の例が、
エドガー・アラン・ポオの
『モルグ街の殺人』。探偵オーギュスト・デュパンが、道を歩きながら、友人のちょっとした仕草・口ぶりから、今現在この友人が考えていることに到達する―――
「アフガニスタンにいらっしゃいましたね?」は、ホームズというかドイル流のオマージュだということになる。
ところがこういう思考法を実際にやっていた人もいて、それがドイルの恩師
ジョセフ・ベル。来た患者の
「外見を読んで」、その人の経歴を次々言い当てていくその様子にコナン・ドイルは度肝を抜かれたらしい。ホームズものの第一作
『緋色の研究』に
「きみは軍隊にいたことがあるね?」という件(くだり)があるが、あれはベル先生を模したものだという。
(ジョセフ・ベル)
シャーロック・ホームズというのは、この
「アブダクション」を延々と再生産し続ける物語。
『四つの署名』の冒頭から、ワトソンの持っている時計を
「読み解いて」、その経歴をズバリ言い当てる―――外形を読んで内面を知るというのは、まるっきり
「観相学(フィジオノミー)」で、要するに
「全ては顔に書いてある」という考え方である。
先日密室トリックの巨匠
ディクスン・カーの
『三つの棺』を読んでいたら、登場人物の描写があまりに
「観相学」そのものなので、笑ってしまった。
「こういう性格をしている」とは絶対に書かず
「髪の色はこうで、瞳の色はこうで、あごの形は、ひたいは・・・」と顔の描写ばかりが続く。
小説ぐらいだと笑ってすむが、これを実生活でもやろうとする人間がいたりするから話はややこしくなる。血液型占い・星占いの相性診断・
「なんたらの泉」―――これすべて、十九世紀を席巻した観相学、その延長線上にある考え方。
「楽しいんだからいいじゃないか」と安易に言う人がいたりするが、観相学は最終的に
「ナチス」に行き着いた―――ということを知って、まだ笑っていられるだろうか―――といっても、やっぱり笑ってるから困ってしまうんだよなぁ。