失われた身体をいかにして復権させるか、ということを考えているのはやはりこっちだけでもなかったので、
「攻殻機動隊 stand alone complex first gig/ second gig」
の監督、
神山健治氏はインタビューなどで
「皮膚感覚と地続き感」ということをよく口にしていて、前者については、「あ~あるある」というようなことは実写でやるよりもアニメーションの方が有効で、それが見る側の
「皮膚感覚」としてあり、後者はそのスタジオが作り続けてきたものの一貫性であるとか都会は近未来的な都市でも田舎に行けば農村があったり畑があったり家には仏壇があるとか、歴史とは
「地続き」なものである、というようにこっちは解釈している(詳しく知りたい人は
「ユリイカ」で確認してください)。
神山健治氏が模倣者になりますと言った当の
押井守氏(シロクマ注1)は、失われた身体は取り戻せないよ、だから新しく手に入れた体が人形だ、ということを
「イノセンス」の特典DVDに収められている対談で言っていますな。
視覚文化論(Visual studies)のバーバラ・マリア・スタフォードも
「ボディ・クリティシズム(Body Criticism)」なんて大著をものしている。
テクノロジーで手に入れた新しい身体(義体)に対して真っ向から
「否」と唱える作品があって、それが
山口貴由の
「蛮勇引力」。
自分の体に「何かヒトでないものを入れ込む」ことに対する危機感、美学などが凝縮されマンガという形で結集した
「アンチ・攻殻」の傑作。
そういえば
E・Mフォースターが、もう宗教も信じられない、科学の発展も信じられない、それではお前はいったい何を信じるんだ、といわれて
「人と人との結びつきだ」と喝破したのはもはや半世紀も昔になるが、いまや信じるに足る人間がいるかどうか、
あとは沈黙(the rest is silence)(シロクマ注2)。
注1:押井守(おしいまもる)。「アンチ宮崎アニメ」であり同時に宮崎アニメの「反対の直系」でもある犬フェチ監督。「うる星やつら」シリーズで監督で注目を集め、それ以降の監督作品は「分かりにくいことがウリ」のようになっているが、宮崎駿のことばを借りると「意味ありげに作らせたらあんなにうまいヤツいないですからね」とのことだが(押井さん曰く、宮崎駿は「スターリン体制」だそう)、熱心なファン、そしてスタッフがすごく多い。北久保弘之、神山健治、今敏など押井がらみのクリエイターは結構多いので、魅力ある人物なんでしょうな。欠点即魅力というのでしょうか。
注2:the rest is silence.(あとは沈黙)。シェイクスピア「ハムレット」、主人公ハムレットが死の直前に残すセリフ。英文学者はあまり語らないが、劇中しゃべり続けるハムレットがあんまりしゃべくったので、死ぬ時に「もう言うことねーや」なんてアホな話もある。やっぱりシェイクスピアは小田島雄志訳ですな。面白さの桁が違う。