推理小説から観相学、観相学からベンヤミン、そしてライプニッツの魔術思想というところまでは、その
「つながり」が理解できた。しかし、推理小説がオカルトになだれ込んでいくのと、フロイトの精神分析が発展していくのが、まったくの同時期なのはなぜなのだろう――このヒントを
福田恆存(ふくだつねあり)氏が教えてくれた。
この現実では勝てつこないとおもつた人間だけが、超自然といふことを想ひ付く。この相対の世界では物事は決着しないと考へた人間だけが、絶対者にすがりつく。世にあるものはなにもかもうそであり信頼できないとすれば、人間はこの世にないものしか信頼できなくなる。妙ないひかたをすれば、強い猜疑心にとつては、存在しないものだけが、その内兜を見すかしえぬ唯一のものなのであります。
(福田恆存 日本を思ふ 文春文庫 p75)
(いまや『日本を思ふ』も、この『私の国語教室』も絶版となっている。もったいない)
キリスト教についての文脈だけれども、これはそのまま
「オカルト」と
「精神分析」にも
「つなげ」られないだろうか。ただし、まだほんの手がかりといった段階なので、
松岡正剛(まつおかせいごう)氏の
『情報の歴史』を参照しながら、考えを進めていきたいと思う。
それにしても、まさか福田恆存氏から推理小説への示唆を受けるとは思わなかったなぁ。