ゆえあって手にとったマックス・ヴェーバー
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(長い!)。禁欲主義のピューリタンと資本主義が、実は同じものだ――という画期的書物だった、らしい。
面倒なことは抜きにして一番大事なところだけかいつまんで言うと、ピューリタンにとっては
「楽しむ」ことが一番の悪だから、奢侈(しゃし)――つまりゼータクが敵視され、だからこそ
「蓄財」、お金を貯めることが正当化された、ということ。
イギリスの清教徒革命と、世界最初の
「ホモ・エコノミクス」であるロビンソン・クルーソーが同時代に立ちあらわれてきたのは、決して偶然ではないんだ――という主張は、言われてみると、なるほどという感じ。
作者のデフォーが実はスパイだった(!)など、このあたりの18世紀論は高山宏氏の右に出るものはいない。
南海泡沫事件(サウス・シー・バブル)とか、そういう経済的な大変革のときにあっては、必ず文学にも何かおこる――こういう視点のオモシロさを、この一冊に教えられた。最近、講談社学術文庫に入ったそうだけど、売れてくれてるといいなぁ。