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こんなところにもM・H ・ニコルソン! ハイエット『西洋文学における古典の伝統』

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(山本貴光さんのお仕事を通じて馴染みができた「自然科学」。しかしそれまではアンテナがまるで立ってない状態だったため、マージョリー・ホープ・ニコルソンの仕事も「ふーん」と一読するばかりだった。自然科学と接点できて以降はニコルソン先生のお仕事も楽しく拝読できるようになったので、つくづく読むタイミングは大事であるなぁと思う昨今。ニコルソンの『ピープスの日記と新科学』は「高山宏セレクション」の一冊として、白水社から税込4,536円にて発売中)

ピコピコ方面でバリバリと紐を打ち、またそれに必要な数学ばかり学んでいるけど、その反動として古い時代の文学作品にちょこちょこ目を通す形。

西脇順三郎さんの『詩学』を楽しんでるうちに、自分の書架に「筑摩叢書」が増えてきたことに気づく。モーロワ『プルーストを求めて』、プルースト『プルースト文芸評論』などなど。

西脇さんの本に名前が出来たので思い出し、前々から気になっていた、古典学者ギルバート・ハイエットの『西洋文学における古典の伝統』を注文。

前書きを読んでビックリ、そこに「Marjorie Hope Nicolson」の名前が! こんなところにも!という感覚。

具体的にどれ、と言えないのが悲しいけれど、「この人は目配り細やか、引用する文献もニクいなぁ」なんて感心してる著作に限って、「Nicolson」の名前が謝辞に並んでたりするんだよね。

全く別系統でビックリしたのは、日本古典で目覚ましいお仕事をされた小西甚一さん。古文をやり直したいときに小西さんの『古文の読解』(現ちくま学芸)を読んでビックリ、こんなスゴイ人がいたのかと大感動。

おかげで古文も抵抗なく読めるようになり、小西さんの他の著作を巡ってたら、ルネ・ウェレックの名前は出てくるし、この人もHistory of Ideasの影響受けてたの?!と。

今回のギルバート・ハイエットさんも、サラッとしたユーモア、ツボをおさえた引用など、干からびた古典学者のイメージとは程遠い。何しろトインビーに食ってかかってる。

世界の歴史ということではトインビーさんはビッグネーム中のビッグネームだと思うけど、その人の意見を「間違っている」とハッキリ指摘するのだから、ハイエットさんの学識と典拠は相当なものだろう。実際、本を読めばその通りなんだけど。

あとは意外なところで「へえ」と思ったのが、ルネサンス以前のヨーロッパでギリシャ語の伝統が失われたという話。写字生がギリシャ語読めないから、「ここはギリシャ語なのでわからない」とまんま書いてあるそうな。

これと全く同じエピソードを吉田健一さんの著作で読んでたので、もしかして吉田健一さんも、ハイエットの読者だったのかな?と。

自分もちゃんとやったのはラテン語だけで、ギリシャ語はかじった程度だけど、ハイエット先生の熱のこもった話を聞いてると、やはり興味はわく。

エラスムスの『Encomium Moriae』(痴愚神礼賛)は先日はじめてそのラテン語文をみて、「あっ、意味がわかる程度には読めるぞ!」と気づいて嬉しかった。

そのうちギリシャ語もやるようになるのかどうか。数学とギリシャの関わりは深いから、その辺からなのかなぁ。あんまりプラトンとかにはノレないできちゃったから( ´ ▽ ` )ノ

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by ulyssesjoycean | 2018-08-12 12:00 | Comments(0)

スタフォードの『Device of Wonder』をようやく入手(´∀`)

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(タカヤマ御大と並び、自分の「師匠」であるバーバラ・スタフォード大先生。長らく手にできなかった展覧会カタログ『Device of Wonder』をようやく入手!  豪華絢爛な図版と文章にクラクラっとするレベル。良い買い物をした(´∀`))

自分が広く「ヴィジュアル」全般に手を出すキッカケとなった、バーバラ・スタフォード大先生。おかげで今はサラサラと絵を描いてコミュニケーションできるようになったのだから、学恩かぎりなし。

スタフォードさんは、Macのモニターに並ぶ「アイコン」群を、18世紀の「Cabinet of Curiosities」と同列に論じる人だから、そのクラクラっと来る具合がすごい。

Device of Wonderもカラー図版満載で、そこにスタフォードさんの「なんでもかんでも一文にブッコム」キテる英文が添えられてるので、まーなんとも贅沢なつくり。

ピコピコ方面にガッツリ取り組んでからスタフォード本に向き合うのはこれが初のタイミングなので、今までとはなんか感じ方が違うかなと期待する面も。

全著作通読は、あっちこっちに興味が移る自分としては大変珍しい。スタフォード以外だと、Edmund Wilsonくらいかも。

ピコピコで頭が疲れたら絢爛な図版を見て頭を休ませたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

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by ulyssesjoycean | 2018-08-08 18:00 | Comments(0)

レイトン? ライトン? 『トリスタンとイゾルデ』を描いた19世紀のイギリス画家

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(「トリスタンとイゾルデを描いた、こんな絵があったんだ!」と久々にビックリ。作者はEdmund Leightonというイギリス人の由。19世紀の人らしいけど、なんが画風を見るとラファエル前派っぽい。美術史はガッツリ学んだ気がしてたけど、知らない絵描きさんはまだまだいるようだ。

レイトンなのかライトンなのか分からないけど、Edmund Leightonという19世紀イギリスの絵描きにグッと来る。19世紀の作品に心動かされたことに自分でビックリ。

というのも、2004〜2006に絵を真剣に学び始め、まずは美術史をさらってみようと画集その他を手当たり次第に読んでた頃がある。

絵画史をウワーッと眺めて見ると、自分がグッと来るのは「18世紀」「女性の画家」という傾向が見えてきた。

一方で19世紀の作品は、どれもコッテリしていて気乗りせず。コルセットぎゅーぎゅー文化の名残なのか、人の肌色も彩度が極端に低くて、親しみを感じられなかった。

好きな方も多いので申し訳ないながら、ラファエル前派は、自分にとって「天下一品ラーメン」レベルのコッテリ具合に感じたので、特に距離を感じていた面が。

自分の趣味嗜好も察しがついて、大体の書き手も頭に入ったと思いこんでたので、「こんな絵があるんだ!」とビックリすることにまずビックリ。

しかもこのLeightonさん、画風はラファエル〜っぽいのに、今までの「ラファエルはナー」な距離感はどこへやら。『トリスタンとイゾルデ』という画題も良かったのかもしれない。

そもそも論で言えば、2004以降に絵にのめり込んだのは、高山御大が訳したスタフォード『グッド・ルッキング』の影響。煮詰まりに煮詰まっていた頃なので、スタフォード先生のやり方みて、「自分に欠けてるのはビジュアルだ!」と。

それこそティファールの鍋底がガリガリに焦げ付くレベルで煮詰まってたのが、ビフォーアフターばりの「なんということでしょう」なスッキリ感(^o^)  あのタカヤマ訳を目にした衝撃は今も忘れられない。

自分で絵を描くのはもちろん、そっからビジュアル関係を手当たり次第に学ぶようになったけど、スティーヴン・カーン『視線』(研究社)が、この手の19世紀絵画をガッチリ扱っていた記憶ある。

Edmund Leightonさんについても、自分が忘れてるだけで、きちんと取り扱われてるんじゃないのかな。この機会に再読してみたい。


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by ulyssesjoycean | 2018-07-28 09:40 | Comments(0)

西脇順三郎→ベーコン→バシュラール→テュゼを連想&想像してみました(´∀`)

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(フランスの密林から取り寄せて買ったHélène Tuzet, Le Cosmos et L’imagination。現物を見てビックリ、まさかのフランス装!  いわゆる「仮綴本」という、ペーパーナイフで切り開きながら読む体裁。まさか21世紀にフランス装で新本が買えるとは思わなんだ。でもこのテュゼさんの師匠筋、ガストン・バシュラール先生の本も仮綴が多いみたい)

ピコピコで紐を打ち込むことが面白くなり、また因果なことにそっち方面に追い風も吹くのだから、「向いてない」と思ってることの方が向いてるのかな、と思うことしきり。

とはいえ、ピコピコに真剣に取り組んだところで、数学的な処理能力が急に高まるはずはなく(^∇^)、不慣れな作業の連続だった脳髄さんから、「ちょっと整理する時間をちょーだい」的なメッセージ。

前にロシア語を学んだ時も、アルファベットと似てそうで似ていない少し似てる(*ラー油へのオマージュ)キリル文字で似たような経験が。

いくらやってもキリル文字の読み方が頭に入らず、もういいや!と放擲して数日、あれ、読めるようになってるぞ、なんて。

パンと同じく、少し寝かせた方がまとまるみたいなので、これまで縁遠くなってた人文書をちょこちょこ。と言っても、あんま気合の入ったやつはツライから、ものすごく脱力したものを読もう。ーーで、西脇順三郎さんの『詩学』。

詩の中に「ホー」とか出てくるスットボケ具合を前々から愛好してるけど、ひさびさに『詩学』を読んだら、「理性から想像力が生まれたのではなく、想像力から理性が生まれた」うんぬんのくだり「へー」と思う。

このところピコピコの紐などという、理性と理論の権化みたいなのに向き合ってたから、そこに引っかかったのかも。

西脇先生によれば、それまで理性一辺倒だったヨーロッパの知的風土が、フランシス・ベーコンあたりで始めて「想像力」に価値を認めるようになったとか。

想像力とは、自然が結んだものを離し、 離れ離れな関係を結びつけるチカラだという。

フランシス・ベーコンさんについては、ピコピコの「情報貯蔵庫」を齧った段階でさらった経緯が。何しろベーコンさんは「実験結果を書き留めて情報として蓄積する」方法論を確立した人だから、ピコピコ情報貯蔵庫の元祖みたいな人。

それまでのワケワカンネー学問のやり方に心底嫌気がしていたベーコンさん、今で言う自然科学の方法論をドシドシ紹介されてけど、その人が「想像力だいじ」と言ったかと思うと意義深い。

それでつい、ガストン・バシュラールのことが思い浮かび、またそのお弟子さんであるエレーヌ・テュゼさんのことも思い出したり。

バシュラールさんは夢と空間がどうした、という書物をたくさん持ってらっしゃるけれど、もともとはバリバリの理論派。科学をおさめたのち、哲学に進んだんじゃなかったか。

テュゼさんも「宇宙のことを考えるのは、かつては詩人の仕事であった」という意味のことを言っている。

自然科学の学識備えた人たちが、こぞって「想像力だいじ」をテーマにしてるのだから、ピコピコと紐でくたびれた自分の脳髄さんが、「そっちの方をフォローしておけ」と気をきかせたような。

アンリ・ポワンカレさんもそっち系統な気がするけど、惜しいことにまだフランス語でポワンカレさんの文章に接する機会がない。

新しい分野に多少とも右左がついてくると、前は素通りだった人たちのお仕事にヒョイと回路ができるからオモシロイ。

テュゼさんも前に一度通読したキリだったけど、数学に馴染みのできたいま、改めて手に取ると印象ちがうかな。

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by ulyssesjoycean | 2018-07-24 22:36 | Comments(0)

石黒正数さんの最新作『天国大魔境』の第1巻が、2018年7月23日に発売!

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(『それ町』完結から数年、ついに石黒正数さんの新作が単行本で読めるように。『それ町』の「すこしふしぎ(SF)」テイストから一転、今作『天国大魔境』ではガチのSF作品!  第1巻は7/23日発売予定、版元は講談社アフタヌーンコミックス。定価は680円なり)

年単位で追っかけて読んでるマンガ家さんと言えば、「とよ田みのる」「山本崇一朗」、そしてこの「石黒正数」ーーお三方の名前がパッと思い浮かぶ。

とよ田みのるさんも山本崇一朗さんも月刊誌で新作が読めるようになったけど、『それ町』の完結から数年を経て、石黒正数さんの新作『天国大魔境』が毎月楽しめるようになった。感涙(T-T)

で、来たる7/23にその単行本が発売されるというので、祭りだワッホイな気分。

『天国大魔境』は、「マンガ家としての自分の原点(オリジン)」を真正面から取り扱う雰囲気で、その「ガチ感」にシビれる。

あとは『それ町』の頃から、Tシャツの柄から何から、細かーいところにさりげなくネタが仕込まれていたので、大本気なSF作品の『天国大魔境』でも、そういう「あそび」が隠されてるんじゃないだろうか。

その手の「小ネタ」探しは雑誌より単行本の方が探しやすいので、1巻が発売されたら長く楽しむことになりそう(´∀`)

*どシリアスなSFモノではあるけど、『それ町』テイストのスッとヌケた笑いもてんこ盛りなので、『それ町』読者にも広くオススメしたい


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by ulyssesjoycean | 2018-07-21 12:00 | Comments(0)

「No longer human」は太宰の◯◯のことか! 全体的に日本文学ブームが来てるの?

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(会話の中で「No longer human」と言われて、いったいなんのことかなーと考えてたら、「Dazai」の名前が出てきたので『人間失格』のことか!と気づく。夏目漱石の『吾輩は猫である』も、英語で読んだら「ナールホド、こういうことがしたかったのか」と分かる面あったので、太宰でなくDazaiを入り口にすると良いのかも)

マンガ関連の投稿が少なくなってしまったけど、相変わらず雑誌その他で「これは!」という作品が見つかるのは嬉しい。その嬉しさから関心はずーっと途切れずにいる。

そうした関心からすると、なんとなくの共通項として、「日本文学」がマンガ内で取り扱われること多くなった印象。

激オシしてた『最果てにサーカス』は中原中也と小林秀雄が主役だったし、紗久楽さわさんの『かぶき伊佐』とか、江戸文化を取り上げるものも。

そういうド正面から扱うものもあるけど、作品の隅っこにちょっと日本文学への言及あるとか、そんな現象にちょいちょい出くわす。「おや、この人もだ」みたいな。

ド正面系なら「◯◯さんが書いている××」とも言えるんだけど、小道具的に言及されるものはメモってない分、それが明示できないのがツライところ(^∇^)

あとは最近、アチラの知り合いがSosekiの『Kokoro』を読んでたり、別な人の話の中で『Book of Tea』が出てきたり。むしろ欧羅巴方面から古い時代のことに興味を持ったりして。

そういえばタカヤマ御大も『夢十夜を十夜で』という瀟洒な一冊を編んでおられたし、グンと新しいところでは、山本貴光さんがプログラミングの発想から漱石の『文学論』を扱ったり。

こっちはどういうのか、西脇順三郎さん言うところの「西洋コジキ」趣味で長いこと通したから、ちょっと昔の日本文学はいまやっと、という感じ。

古文は好きになって、平安から色々眺めるようになったものの、ちょっと前の日本文学はナーなんて思ってたけど、英語で読むとこれが案外入っていきやすい。

『吾輩は猫である』より『I am a cat』にスッと入れると気づいた面あるので、食わず嫌いで長くきちゃった太宰さんも、横文字の「Dazai」から入ると印象違うかも。

古文はヘコタレ気味な時に読むと大変すばらしいと気づいたので(『土佐日記』とか)、なんだろう、ちょっと前の日本文学に色んな人の関心が集まるのは、そういう「なにかのムード」が一致してるからなのかな。

単純な事の起こりは、「あれ、この人も主役を国語教師に設定してる」と気づいたことなんだけど(^∇^)

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by ulyssesjoycean | 2018-07-15 12:26 | Comments(0)

「経済学」を「心理学」から考えよう! でもミもフタもないよ‼︎ 心理学者の心理を知りたい(^_^)

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(数学に真剣に取り組むキッカケは、思い返せば「経済学の計算」をするためだった。最小二乗法を知った時は、√はこういう風に使うのか!と心底感激。その後、新しい経済学のBehavior Economicsも学んだけれども、こっちはみぞおちにパンチ!という感じの内容ばかりなので、面白いけれど相当キツイものがある。でも面白いから読んでしまうあたりがBehavior Economics!)

ちょっと前にBehavior Economicsの代表先週、ポパイ的な名前の先生が脳ベル賞を受賞したのがニュースになった。

ポパイ的な名前の先生が手掛ける分野は、言ってみれば「心理学+経済学」。伝統的な経済学が数式のオンパレードなのに対して、誰もが納得できる平易な現象と理論が取り上げられてる。

ただこの「誰もが納得できる」という話が、読み進めるうちにみぞおちパンチ!な印象を伴うのだからやりきれない。そんな親しみやすい分野なのに、数学バリバリの経済学よりある意味キツイ。

というのも、この「心理学+経済学」の新分野、「人間は合理的な存在じゃないよ」というところからスタートしてるから、自分が普段やってることを目の前に突きつけられる感じ。

Behaviorナントカを調べて一番ショックだったのは、「人間には『時間』を捉えるすべがない」ということ。人間が実感を持って分かるのは3次元までみたい。

どういうことかというと、昔のことを考えるにしても、ウンと先のことを考えるにしても、考えるための材料が「いま現在」しかないという。

メチャ卑近な例だと、お腹減った状態では、満腹の状態を全く想像できないし、満腹の状態では、何時間後に腹ペコで何か食べたくなるとは、どーやっても予想できない。「いま現在」が「満腹」だからーー

「リマインダー」機能を多用するようになったのはこのためで、「◯日後に△さんと会議の予定、よし、覚えたぞ」というのは全くアテにならない由。

その決意はあくまで「いま現在」のものだから、「◯日後」「◯-1日後」まで予定を覚えているとは限らない。実際には考えすらしなくて、「しまった!」の連続だったりする。

それをBehaviorナントカ視点で防ぐには、「◯日後の予定」が決まった「その瞬間」(いま現在)に、「リマインダー」をセットすること。実際の予定に合わせて、「◯-1日前」や「◯-2時間前」に自分にお知らせが届くようにする。

一番馴染みのリマインダーは「目覚まし時計」だそうで、なるほど、「寝る瞬間」(いま現在)に、「先の予定」(明日起きる時間)をセットするわけだから、発想としては全くその通り。「明日ぜったい◯時に起きるぞ!」という決意が「明日」まで持ち越されるかはわからないーー

こんな話を延々と聞かされてくると、参考にはもちろんなるけれど、自分のダメダメ加減を科学的説得力を交えて力説されるようなもので、さすがにガクーンと来る。

だったら読むのは止せばいいんだけど、この辺りがニンゲーンのダメダメ加減再来で、結局Behavior書を手に取ってるのだから世話はない。特にこのカーネマン先生はポパイ的な先生の師匠筋らしいから、その意味でも関心あった。

ところが、ああやっぱり、ゲンナーリエピソードの連続なので、さすがにショボーン(´ω`)。しかもカーネマン先生は、ポパイ先生よりも舌鋒鋭いから、また容赦がない。

それでつくづく思うんだけど、カーネマン先生をはじめ、ビヘイビアーを研究してる先生方は、それこそ心理的なバランスをどうやって取ってるのだろう。

読者の立場からでもこんなにションボリするのに、研究して、実験からデータ採取まで、地道に研究作業をやる間、ションボリションボリにはならないのかな。

ションボリどころか、カーネマン先生も年単位のプロジェクトで大失敗してらっしゃるし、こんだけ鋭い人な以上、それが自分に返ってくるんじゃないだろうか。

ーーもっとも、そんなこといったらやっていけない職能はBehavior研究者どころじゃないだろうから、こと本業に関しては「切り替え」ができるもんなのかなー。

ここ最近、アリストテレス先生の『二コマコス倫理学」なんて、たいへんに筋道の通った話ばかり目にしていたので、よけいにBehavior研究者はどーしてるんだろうと考えてしまった。

もっとも、人間は正反対なものを求めるから、舌鋒鋭い理論家のカーネマン先生、非論理的なニンゲーンの行動を扱うのは性に合ってるのかもしれない。

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by ulyssesjoycean | 2018-07-11 21:56 | Comments(0)

「その人の部屋はその人自身⁈」、ボルノウの『人間と空間』から『どうぶつの森』を考える

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(大人気ゲーム『どうぶつの森』シリーズ。いわゆる「箱庭系」というくくりでいいのかな? 木を切ったりアイテムを交換したりして、自分好みの家具や調度を揃えていく。海外では「Animal Crossing」というタイトルで販売されてるみたい)

ちょっと前に話題になった『どうぶつの森 ポケットキャンプ』。手元ピコピコ用の『どうぶつの森』として大人気に。

Nintendoのゲーム機持ってなかったので、手元ピコピコ版が出たのならーーということでやってみた次第。

実際にやってみて思ったのは、「なんで自分は、ゲームの中の家具や調度を、自分の部屋と近しい雰囲気でまとめるのかな?」ということ。

園芸が趣味で草花を愛でる人がいたとして、何もゲームの中でまで草木を育てて揃える必要はない。ゲームの中だからこそ、普段できないことができるんだし。何なら岩だらけの空間を拵えても楽しめるはず。

ーーと思うものの、なぜか「現実の自分の趣味嗜好に合った家具やアイテム」を揃えてる自分がいるので、これいったいなんだろう?と。

自分の家にある楽器をゲームの中でまで揃えなくていいのに、なぜ自分は「ついそうしちゃう」のかな、と不思議に思っていた。

先日、ボルノウさんの『人間と空間』(せりか書房)を読んだら、「家を作る=天地創造」の対応関係があるという。タカヤマ学派にお馴染み、「ミクロコスモスとマクロコスモスの照応関係」というやつだな。

でっかいレベルをちいさいレベルで再現する、というのはドンドン展開していけるのが強み。さっきの家について言えば、「天地創造」=「家づくり」から、今度は「家づくり」=「インテリアの揃え方」と、またサブセットができる。

ボルノウさんの話を読んでたら、「家具や調度を揃える」「手入れする」「歴史を感じさせる」ところから、これは「その人自身をあらわす」行為と言えるそうだ。

前にチクセントミハイさんの『ものの意味』を読んだ時も、「私物こそ、アイデンティティ回復の道しるべ」みたいなことが書いてあって、膝を打ったものなぁ。

実際、介護の現場でも、「その人の過去の写真」が置いてあるだけで、当人はもちろん、その人の周辺も「この人、こういう人だったんだ」というのがわかることで、接し方も変わってくるという。

最近よく聞く「断捨離」云々も、「室内=その人自身」と捉えると大変に合点がいく。部屋がカオス状態だったら、それは「その人自身がカオス」だから、じゃ「部屋の方のカオスをなんとかすることで、自分のカオスも何とかしよう」みたいな。

以上のもろもろを総合すると、『どうぶつの森』で自分の趣味に合った家具やアイテムを揃えるのも、「自分の部屋」=「自分自身」を投影してると言えるなー。

だってそれは、ゲーム内の他のプレーヤーを見てても思うもの。まずそのキャラクターの「服装と髪型」をチェックしたのち、その人の「キャンプ場」(家具やアイテムが置いてある場所)を確認して、「あ、この人とは気が合いそう」とか思ってるもの。

「カッコイイ家具やアイテムが揃ってる」というのとは別次元で、「自分と気があうか、あわなそうか」を判断してる。これもずーっと気にかかっていて、「なんでゲームの中でそういうことしてるんだろう?」と自分の心の動きが不思議でならなかった。

最近、UとかXの分野を学んでるけど、この「その人が集めたアイテムや家具の並べ方」から「その人自身」を判断するというのは、「氷壊し」に使えないもんだろうか。

『どうぶつの森』の手元ピコピコ版では、言語系のコミュニケーションゼロだけど、「なんか気が合いそう」という反応を自分がしてるから。

色んな会合などに行くと、自己紹介がぐるっと回るだけで30分とか40分かかるので、「なーんか違うアプローチないかな」と考えていた。

自分の場合、自己紹介はゼロにして、簡単なカードゲームを4〜5人でやる、というのを取り入れたことがあったな。

そうすると、物静かな人が出すカードを真剣に考えてたり、気のいい人がブラフに引っかかってコロッコロ負けて大爆笑になる、なんて様子が。

その後に「◯◯さんの名前」を伝えた方が効果的なんじゃないかなぁ、と。「◯◯大学の××学部△△年生のXXです」をグルーっと回すより、「人となり」がわかる気がする、と。

自分がやった「自己紹介の代わりにカードゲーム」は、Closedな仲間うちだったからこそ効果的な気がしてた。あれが20〜30人いたら、とてものこと運用できない。ルール伝えるだけで大変だし(^∇^)

そんな時に『どうぶつの森』+ボルノウ『人間と空間』がヒントになったかも。その人の「自室を見せてください」は抵抗あるけど、「ゲームの中の箱庭」だったらいいんじゃない?という。

『どうぶつの森』をやってそんなマジメ〜なことを考えてるのは自分だけかもしれないけど(´∀`)、なーんかヒントになる気がするなぁ。

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by ulyssesjoycean | 2018-06-27 18:00 | Comments(0)

俳句はサッパリだったけど、「西東三鬼」だけは気になります

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(「今まで馴染めなかったジャンルをやってみよう」ブームから、数学とピコピコに入門できた。何となく親しみを感じられないジャンルとして「俳句」があるけど、この「西東三鬼」という人名だけは時々思い返す。他の俳人の名前は覚えないのに、「サイトウサンキ」の響きだけは忘れないのだから、何か大事なものが含まれてるのかも。講談社学芸文庫で文庫化もされてるみたい)

一番縁遠かったはずの「ピコピコと数学」が、いまや一番の興味あるジャンルになってしまった。

やってこなかった分だけ発見も大きく、「真っ黒画面に直接打ち込む」方式が向いてると分かってからは、ピコピコを動かす紐ingが大きく楽しみに。

ピコピコと数学以外で馴染みなかったジャンルというと、サッと思いつくのは「俳句」ダナー。和歌とか短歌は「いいなー」と思うものあるけど、「俳句」は今もって馴染めずにいる。

そんな中で、これはまたブッ飛んだ俳句ばっかりものする加藤郁乎さんの『後方見聞録』だけは愛読してるけど、その回想録の中でちょいちょい言及されるのが「西東三鬼」。

水枕がガバリとどうした、という句以外は何も知らないけど、回想録の中で言及される西東三鬼さんは、なんだか茶目っ気たっぷりのオジサンのようで親しみが湧く。

知らないジャンルの方が発見も多いと味をしめたばかりなので、次はこのサイトウサンキさんに当たってみようかな(^∇^)

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by ulyssesjoycean | 2018-06-24 18:00 | Comments(0)

山本崇一朗さん以来のビッグウェーブがゲッサンに登場! 源素水『先生は恋を教えられない』

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(『ゲッサン』は新人作家の登用に積極的、押しも押されもせぬ山本崇一朗さんもそうした新人マンガ家のお一人だった。源素水さんもこの作品で「大化け」の予感! 月刊マンガ誌『ゲッサン』は小学館から毎月12日発売。*画像出典はコミックナタリーより)


この1〜2年というもの「絵を描かない日はない」状態になり、その影響なのか「マンガを読む」エネルギー比率が下がってしまっていた。


そんな頃合に「やられた!」と思ったのが、石黒正数さんの『天国大魔境』だったけど、今回第2のビッグウェーブ到来! それが源素水(みなもと・もとみ)さんの『先生は恋を教えられない』。


大本気SF『天国大魔境』とトーンが全然ちがうけど(^∇^)、これは来た!というのをこの新連載に感じたな。「ピーン!ときた」(©︎みうらじゅん)というやつ。


先生×生徒モノはメジャージャンルだけど、少女マンガでお馴染みの展開が青年誌で、というのに意表を突かれた格好。


いつも思うんだけど、ムサヲさんしかり横槍メンゴさん然り、こーいう展開の作品は女性マンガ家さんの絵柄がメチャメチャ合ってるなーと今作でも感じる。


冒頭に名前を挙げた山本崇一朗さんは初回の読み切りから一貫して方向性が定まってた感あるけど、この源さんは段々と実力をつけていって、ついにドカーン!と自分の鉱脈を掘り当てた感じ。


別冊の読み切りでも、センスと清潔感のある絵柄で応援してたので、本誌掲載〜原作つきシリーズを経て、オリジナル連載でドカーン!というのは、以前からの読者として嬉しい。


『ゲッサン』では山本崇一朗さんが『からかい上手の高木さん』でグイグイ来てるけれども、それを「ふたひねり」した展開と言えばいいかなー。


決して奇をてらった作品じゃないけど、心を鷲掴まれた(´∀`)  思わず「ブログに書かなきゃ!」と思っちゃったもの。


新連載が始まったばかりなので単行本が出るのは先の先だろうけど、週刊連載の『ナントカー×ナントカー』よりは早いペースだろうから( ´ ▽ ` )ノ、単行本が出るときには再度激オシしなくてはなるまい。


応援してきたマンガ家さんの作品がドーン!と来るとメチャメチャ嬉しいね。『高木さん』ばりの展開を今後に期待ヽ(´▽`)/


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by ulyssesjoycean | 2018-06-14 18:00 | Comments(0)