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『まどマギ』もビックリな西田幾多郎先生の来歴。なんか菅原道真みたい(´ω`)

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(『陰陽師』では敵役として登場の菅原道真さん。史実を調べてみると、実際、散々な目に遭っている様子。『新古今和歌集』には道真さんの詠んだ歌も入ってるけど、そうした心情を歌に賭したのね、と後年納得。そう言いながら、いまだに新古今〜を手にしてないのは自分としてもどうかと思う(^∇^))


このところ哲学者の方のキタロー先生が殊の外おもしろく、その随筆をせっせと読んでる次第。


でも西田幾多郎先生ご本人の来歴を見てると、「殊の外おもしろく」の真逆を行く、『まどマギ』も真っ青のアレな展開。


西田先生は歌も詠んでるけど、実際そういう心情を吐露する面があったのかな、と思ったりして。


尊敬してやまぬ本居宣長先生も、言うに言われぬ心情の発露が歌であり、その心情を綜合して「もののあはれ」と言うのだと、歌論の中で述べておられたな。


それでハッと思ったのが、菅原道真さん。『新古今和歌集』でグッとくる歌を詠んでるなー、誰なんだろうと思ったら、それが道真さんという。


道真さんも散々な目にあって、それを歌に託してるけど、その姿が西田幾多郎さんに重なった次第。


あとは西田さんの随筆眺めてビックリしたんだけど、打坐(座禅)をメチャメチャやってる。終日座禅ばかりという日もあったりして。


お寺とも、単に檀家づきあいというレベルを超えたものがあるし、どんな成り行きでこうなったのかな、と思ったのでした。


なにより夏目漱石の完全同時代人だから、漢文当たり前のところからどうやって言文一致〜自分の文章を作るか、というその過程が興味ぶかい。


前に芥川龍之介の全集読んでたとき、言文一致体だと日に数枚、10枚書けたことは数えるほどだが、漢文的な文語であれば幾らでも書けるなんてくだりが。


西田幾多郎さんなんか、特に哲学やってたわけだから、その辺どうされてたんだろう。日本語にはない言葉も多かったんじゃないかな。


そういや哲学書の中に出てくる「当為」というのがナンダコレと思ってきたけど、西田さんの本を通じて、ドイツ語のsollenだと分かった時は拍子抜け。なんだ、shouldのことじゃん!なんて。


全体に転換期の厄介な出来事を全て抱え込んじゃったのが西田幾多郎さんなのかなーと思ったりする。漱石先生もバリバリ作品を書いてたのは10年ほどだし。


前に漱石の『こころ』を読んでたら、登場人物たちがあまりに生真面目なので、時代の懸隔はともかくとしても、ついていけない面あったけど、明治はこうした生真面目さがフツーだったのかな。


それまで江戸時代で、ドーンと明治に変わったことの反動が、漱石さんは正味10年でpassed awayしちゃったり、西田さんがありとあらゆる辛酸をなめたことに表れてるのかなー。


この分で行くと、西田幾多郎さんの伝記もなかなかにソーゼツな気がするけど、ちょっと眺めてみたい。


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by ulyssesjoycean | 2018-11-29 18:53 | Comments(0)

川勝徳重さんのマンガ作品『電話・睡眠・音楽』がリイド社から単行本化! ていうかもう出てる⁈

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(雑誌『架空』のタヌキマンガを見て「これは!」と思った書き手、川勝徳重さん。同人やコアな雑誌で目にしてきたけど、すでに単行本化されていたとは。不覚。奥付を見ると2018年10月に発行の由。川勝徳重『電話・睡眠・音楽』は、リイド社から税込1,404円にて発売中)

このタヌキの絵の脱力感はすごいなぁ、と感銘を受けた川勝徳重さん。作中に出てくる貸本マンガや古い映画、日本文学などなど、渋いチョイスをする人だと思ったら、年齢を知って二度びっくり。

全然傾向ちがうけれども、気鋭の小説家として注目する根本聡一郎さんと、ほぼ同年なのかな? 川勝さんも根本さんも「妖怪」(水木しげるナドナド)にアンテナあるようだから、その辺が水脈なんだろうか。

*かくいうこっちも、本居宣長先生スバラシイとか、最近では西田幾多郎さんにグッと来るとか、斎藤緑雨全集を集めたりしてる格好だから、十分どうかしてる(^∇^)

近年は1年365日、絵を描かない日はないという状況に立ち至ったので、その反動なのか、マンガ関連のアンテナが鈍くなって申し訳ない限り。川勝さんが単行本出してるのに知らない!というのは不覚だったナー。

そういえば先日、イタリアのマンガ家さんで、「おおっ!」と思う絵柄を目にしたけど、テキトーにノートした著者名が間違っていたらしく、いくらグルグル先生に尋ねてみてもラチがあかない。

島本和彦先生に「いつでも買えると思ってるなら今買え!」という名言あるけど、買おうと思うくらいの作品はメモもちゃんとしなくてはと思うことしきりでした( ´ ▽ ` )ノ


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by ulyssesjoycean | 2018-11-25 16:29 | Comments(0)

「はじめてのおつかい」を紐で書いてみるピコピコ練習(´∀`)

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(柳瀬尚紀さんが著作の中で自信を持ってオススメすると言われていたのが、この『和文英訳の修業』。吉川美夫さんの『英文解釈考』もオススメされてたけど、なんか超珍しい本らしく、いまだ現物をキチンと目にした記憶がない。でも『和文英訳の修業』の難度からして、超キツイ一冊なんだろうと思う。でも『和文英訳の修業』をみっちりやると、たしかにビビらなくなるので、その意味で興味あるなぁ。和文英訳〜を手にしたときは、いかにも日本的な表現をどう英語にするんだと七転八倒してたな。分かりやすい「◯◯すぎて××できない」とかのヒントゼロなんだもの。でもオススメ( ´ ▽ ` )ノ)

聞いた瞬間、「それだ!」と思った紐の練習法:「日常生活の出来事を、紐の形式で表してみる」。

つい先日まで、色々な形のブロックが上から降ってきて、キレイに一列揃うと消えるゲームを作ってみたけど、次はどうするかと呻吟中。

そんな折に聞いたのが、上の学習法。日常生活の出来事を紐の形で表すよう、日頃からクセを付けておく、というもの。

これまで、ある言語を別な言語にする練習は頼まれなくてもやってきたけど、紐という人工言語で表現する練習は考えたことがなかった。エウレカ!という閃いた感。

例として出てきたのが「はじめてのおつかい」。「A君はお財布を持って、おつかいに出かけます。その代金100円をお母さんがA君の財布に入れてくれました」みたいな、数行程度のもの。

自分レベルでも、紐の書き表し方は幾つか思いつく。

[思いつき1]
wallet = 0
wallet = 0 + 100
print(wallet)

[思いつき2]
wallet = 0
mother = 100
wallet = wallet + mother
print(wallet)

デカイ蛇さん方式で書いてみたけど、こうすれば「いまA君の財布にいくら入ってるか」を紐形式でヒョーゲンできる。

あとこの練習法の良いところは、ピコピコが手元になくてもいいってことだな(^∇^)。日常生活で数的処理が発生する状況が出てきたら、それをその都度「みじかい紐」にする練習すればいいわけだ。

実際、自然言語の長い文章も、短い文章を積み上げて長くしてるわけだから、短い文章のストックを沢山持っている方が応用が効く。

その伝で、短い紐をたくさんストックしておけば、ストック1、2、5を足し合わせて、ムリなく新しい紐が作れるんじゃないかなー。

佐々木高政さんの『和文英訳の修業』(文建書房)には本当にお世話になったから、ここはひとつ、自分なりの「和文紐訳の修業」をつくるつもりでチャレンジしてみよう( ´ ▽ ` )ノ

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by ulyssesjoycean | 2018-11-20 12:00 | ピコピコ武者修行 | Comments(0)

「μ(X)」にはムムムとなるのに、「株をX個買う」のがOKなのはなぜ? 小島寛之さんの新書で考える

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(“数学が得意だったので、中学〜高校時代に同級生たちが「数学が分からない」と言ってる意味が分からなかった。それが数学で大学院に進もうとして、はじめて「数学が分からない」という状態に直面、「同級生たちが言っていたのは、このことだったのか。やっとその苦しさが分かった」” ーーという大変に印象的な「あとがき」を記憶してたけど、あれは小島寛之さんの新書だったのか。なんか「ごん、お前だったのか」感覚だけど^_^  小島寛之『文系のための数学教室』は講談社現代新書から税込799円にて発売中)

数学をやり始めて分かったこと。それは「数学が分からない」のではなく、「数学で使われる記号表現に納得できない」ということ。

x, y, zから√やΣ、あれはなぜその形になったのか、その形にする合理性はなんなのか、そもそもなんと読めばいいのかーーこういうことにイチイチ引っかかって、数的処理に進めなかったという、アルキメデスもビックリな発見。

しらみつぶしに調べていくうちに、だいぶ「こういうことである」とは掴めたものの、参考書をやり始めると、今度は「重解、平方根、因数分解、独立媒介変数」などという「日本語表記」に面食らうことに。

結局、グールグル先生に尋ねた上で、もとの英語表現を突き止め、さらにOEDで引いてーーなんてことを10回もやると、「これは英語だけで学んだ方が効率よかないか」とイヤでも気がつく。

実際、今や計算をするときも英語で考えるように完全シフトしたら、アラ不思議、以前に感じていたイライラやモヤモヤがキレイになくなったので、「なるほど、苦手科目は資質のモンダイより、『やり方』がモンダイなのだ」とプラトンばりのイデアーに辿り着く(大げさ)。

いまや紐ingのコメントや学習ノートも英語でしか付けなくなり、また実行するときも考える言語を英語に切り替えておくと「何も違和感がない」と、「自分に向いてるやり方」はこんなにストレスないんだ!と感激するくらい。

その反動で、たまに日本語で数学の本を読む必要できると、以前の違和感が再燃するので、この違和感はなんなんだろうと自分でも首をひねる格好。

信頼する書き手の小島寛之さんの御本を読んでてもそれを痛感する。また自分でも「似たような操作のはずが、一方には違和感を感じ、もう一方には違和感をまるで感じない」のだから、ますます分からない。

たとえば小島さんの著書の中に、棒グラフと、それに関連する数式の説明が出てくる。

「X県の面積をμ(Χ)とする」という、ここに大きな抵抗を感じる。なぜそういう表記を自分で決めていいの?  そして読者である自分はなぜその表記に従わなくてはいけないの?と。

かと思うと、「ブラック・ショールズモデル」という複雑な数式を説明する際、まずは単純化するために「◯◯円の株式をX個買うとする」という表現が出てくる。ところがこっちにはまるで違和感を感じない。

それで困るんだな。どっちも背景は同じなんだから。使ってる言葉まで「〜〜とする」とおんなじだし。

・複雑なままだと解説しづらいので、単純化する
・単純化したことを記号で表現する
・用いる記号は、解説者が任意のものを選択する

というメンタリティは一緒。なのになぜ、「μ(X)」には大きな抵抗を感じ、購入する「株式個数をX個」とするのはOKなのか。なぜそういう差が生じるのか、当の本人も分からないので、厄介きわまりない。こんな話を聞かされる方も困るだろうけど( ´ ▽ ` )ノ

近年、工学とか使う人がどうした理論を学んだ結果、「下手な推測や予測はやっても仕方がない」と痛感。むしろ「ちょっとでいいから実際にやってみる」方が、モンダイ解決の糸口が掴める様子。

それでいうと、「数学が分からない」と言うのは簡単だけど、その理由をやらずに考えてみても仕方がない、むしろ「実際に数学をやった内容を、ケーススタディにした方が良い」ということかなー。

尊敬する小島さんの論法ではないけれど、この「数学が分からない」は、それこそ「◯◯が分からない」にまんま置き換えが効く。

数学と同じく語学も「分からない」と言われる分野だけど、「実際に語学をやった内容を、ケーススタディにした方が良い」結果につながりそうな気がする。

とにかく数学学び直しをした結果、「その分野が得意な人の方法論は、苦手な人の方法論にはまるで接点がない」と痛感。

前掲の小島さんが優れた入門書をいくつも執筆してらっしゃるのは、「数学が得意だったが、より高いレベルを目指した時に『数学が分からない』」と身をもって体験した人だからだろう。

それにしたって、ユークリッドの公理系をRPGに例えたり、論理演算をカードゲームにするなど、その「工夫」っぷりに頭が下がる。心底数学が好きでないと、こういう「一見、非効率的な」学習方法を考え出さないだろう。

その手の文例集として、『数学でつまずくのはなぜか』を推したい^_^


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by ulyssesjoycean | 2018-11-11 14:24 | Comments(0)

タカヤマ経済学派から、「ひとり理工学部」状態( ´ ▽ ` )ノ ファラデーさんどんな人かな

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(「タカヤマ経済学派」とふざけて言ってきたけど、経済学の計算を実際にやるようになったら、そこから数学にどハマり。今やすっかり「タカヤマ理工学部」に入学した格好。タカヤマ文化史は自然科学にも有効らしく、「ベイズ統計」の考え方がJohn Lockeとかあの時代のイギリス哲学みたいだな、と思うとまさに同時代だったりする。OEDも以前に比べてやたら科学用語を引くようになったなぁ。そういや電磁気系の用語はほとんどこの、ファラデーさんの造語らしい。画像はウィキペディアより)

経済学から数学に進み、致し片ないジジョーからピコピコの紐ingも始め、いまやすっかり「ひとり理工学部」状態。

電気回路とかも見るようにはなったものの、まだまだ物理学には心が動かないなー。電磁気の分野でファラデーさんが超エライというのは分かったけど、いかんせん日本語で文献を読んでると独特の術語に戸惑って読むどころでない。

ファラデーさんはイギリス人なので、その著作も原書で読めるだろうから、その点は掛け値無しにありがたい。フランス語だと、そこまで気軽に本を手に取れない。見つけるのもむつかしめだし( ´ ▽ ` )ノ

あとはこのファラデーさん、イギリス生まれだけど、紳士などという肩書きには程遠い人の由。なんでも学歴ゼロで、ほとんど独力で電磁気の発展に寄与したとか。

ちょっと前に読んでたGeorge Booleさん。True or Falseをゼロとイチに置き換えて数学的に整理した、ピコピコの曽祖父くらいの人だけど、この人も学歴らしいものは1つもなかったそう。

イギリスといえば階級制度の家元みたいなものだけど、その中でどうしてファラデーさんは活躍することが出来たのだろう。その当時の科学はキワモノ扱いだったのかな。

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by ulyssesjoycean | 2018-11-10 12:00 | Comments(0)

ええっ、「解題」って漢文由来の言葉なの? 『西田幾多郎随筆集』

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(数学やピコピコのロジカルな思考にくたびれて、別方面のロジカルに向かうのだから世話はない。眼光鋭いオジサンというイメージあった哲学者の西田幾多郎さんも、馴染みが出来てみると読むのが楽しみな書き手という印象。何より夏目漱石と殆ど同い年というのでビックリ。『西田幾多郎随筆集』は岩波文庫から税込1,037円にて発売中)

さすがに数学とピコピコの電気回路など、理屈一辺倒な分野ばかりやっていた反動で、なんか肩の凝らない文章に触れたいな、と。

それで前々から気になっていた西田幾多郎さんの随筆集を読んでるんだけど、読み進めてビックリ、「解題」って漢文由来の表現だったんだ。

先生は広島高師から前田家に転ぜられた。前田家は松雲公以来漢文の蔵書に富むことは周知のことである。先生はその解題を作るために入られたのである。

(西田幾多郎、『西田幾多郎随筆集』、岩波文庫、p.65. 2003)

西田さんが習った漢文の先生が、ど偉く漢文に詳しい人だった、という紹介だったけど、それ以上に「解題って、こういう文脈で使うんだ」と意表をつかれた格好。

「トランスレーティッド! 高山宏の解題新書」というマボロシの企画案ほか、学魔御大の「解題」という表現に馴染んで来たので、今の今まで「解題って何だろう」と調べても見なかった。

どうも西田さんの文脈から察するに、解題は「(蔵書)目録」に近い意味で使われてるようだ。あとで『新潮現代国語辞典』に当たるとしても、漢文ゆかりの表現だったのね。

あとは西田幾多郎さんの随筆集読んでて知ったんだけど、西田さん、数学もメチャできた人みたい。哲学に行くか数学に行くかで相当悩んだ由。

そういやHenri Bergsonも、結果的には哲学者になったけど、数学者としても大学者になっただろうと、指導教官が大変悔しがったとか。

もっともキタローさんの方は、どこか数学につれない雰囲気なので、最終的なところで哲学の方が性に合ってたんだろうな。

しかしなぁ、数学と論理思考に疲れて手に取った随筆集で、まさかまた数学に出会うとは思わなんだ( ´ ▽ ` )ノ  少し休憩したら数学を再開したまえと、数学さんの方から声をかけてきた感じがする(´∀`)

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by ulyssesjoycean | 2018-11-02 12:01 | Comments(0)