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これは仏文の朱牟田夏雄さん!(例えが分かりにくい^_^)、宮崎嶺雄さんの『谷間のゆり』

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(前に手にとって即やめた記憶あるバルザックの『谷間のゆり』。バルザックの伝記を読んだら、これが自伝的要素強いというのでドレドレと確認。結果泣いたりしてるので、訳者・宮崎嶺雄さんにはあらためて感謝。宮崎嶺雄訳は岩波文庫で確認できます)

バルザックさんはむかーしまとめて作品集を読んだけれど、大ファンというわけでなし、まずは「フランス文学で有名な人」という位置づけに。

『ゴリオ爺さん』とか面白かったけど、その一作の印象が先行してしまい、あとの作品はそこまで愛読するに至らなかった。

それがたまたまバルザックさんの伝記を読んで見たら、『谷間のゆり』が大変に自伝的な作品だという。物見遊山な気分で読み始めたら大感動。ヘッセの『デミアン』に通じる部分も。

複数の版があるのに、わざわざ岩波文庫にしたのは、宮崎嶺雄さんが訳してらしたから。前にカミュの『ペスト』(新潮文庫)に目を通したら、訳文の素晴らしさに感銘。

それが記憶に残っていたので、せっかくだからと岩波文庫にしたんだけど、これで宮崎嶺雄さんへの信頼が強まったな。英文学における朱牟田夏雄さんのようなスーハイの仕方。

たいへんに例えがわかりにくいけれども(^∇^)、この人の訳すものにハズレなし!という名訳者が自分にもあって、18世紀英文学にドップリハマったのは朱牟田さんのおかげ。

どういう風の吹き回しか、たまたま原書を買って持っていたフィールディングの『Tom Jones』。小説家の佐藤亜紀さんがこの作を推していたのでイソイソと翻訳を読み始める。

そしたらこれがべらぼうな面白さで、『トム・ジョウンズ』のタイトルで岩波文庫の4冊を通読。その面白さが引き金になって、原書で800ページとかあるTom Jonesも読了。

あれで「原文で本を読むって面白い!」と病みつきになったところがある。その意味で朱牟田夏雄さんは私淑した、つまり本を読んで師匠と仰いだ大事な1人になった。

それが今回、宮崎嶺雄さんの訳文を手にして、おんなじような感動を味わったので、これは他の作品もぜひとも目を通してみなくては、という気分に。

もちろん、『谷間のゆり』を読んでいても不満が一つもないとは言わないけれど(モルソーフ夫人の話し言葉とか)、その辺は脳内補正でこっちからお迎えに行ってどうにかしちゃってる。

しかしなあ、これだけ感激させてくれる訳本を残しておいてくれたことにまず感謝!という感じ。

むかーしフランス語を覚えようとしたときは、平岡篤頼さんの訳文をまず読んで、そっから原書でインプットする習慣があったけど、これ、その頃より語学力もマシになった(*筈の)現在、宮崎さんの訳本でやったらどうだろう。

カミュにバルザックと、訳す作品も多方面だし、このところヌーという気分でもあったので、フランス語Boot Camp感覚でやってみてもいいかもしれぬ。

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# by ulyssesjoycean | 2018-01-29 12:00 | Comments(0)

これは気になる! ヒョーゴノスケさんの娘さんエッセイマンガ『今日も娘と。』

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(「とよ田みのるさんが勧めるマンガにハズレ無し!」の格言を勝手に唱えているけど、前々から気になっていたヒョーゴノスケさんが単行本を出されるようだ。カドカワから2018年3/18に発売予定)

最近はアグレッシブに学ぶのはピコピコと経済学と心理学とーーアレもコレも状態なのは前から変わってないな(^∇^)

ただまあ、インプットとアウトプットのサイクルがメチャ短いので、エンジンがフル回転している感じ。

楽しい一方で不慣れなピコピコに消耗するのか、マンガは完全に「ゆったりリラックス作品」を求めるように。

で、前々から気になってたヒョーゴノスケさんが3月に単行本を出されるというので、これだ!と思った次第。

例によってマンガ家のとよ田みのるさんのツイートで知ったのだけど、まずはその独特な絵柄に興味を持った。

だいぶ前に『サウスパーク』というキテる内容のアチラのアニメーションがあったけど、絵柄にどこか近しい面を感じる。

アメコミとか、そっち方面で仕事をされてる方なのかなーとは思うものの、網で引くのは何か抵抗あるのでそれ以上追っかけないまま、ずっと気になっていた。

今度出る単行本は娘さんとの話を綴ったエッセイマンガということで、翼の折れたエンジェルならぬ回転数の上がりすぎたエンジン的にはグッと来そうな内容(^∇^)

聞けばカメントツさんの『こぐまのケーキ屋さん』も3月発売とかで、こちらも楽しみ。

フィクションに求める趣味嗜好が軟化してってるなぁとは思うものの、これはどうにも致し方なし。文学方面でも、バルザックの『谷間のゆり』とか読んで泣いたりしているもの( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-27 18:00 | Comments(0)

「メタ認知」はカッコ良すぎなので「みうらじゅんテイスト」希望

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(「勝つ加齢」や「アウトドア般若心経」など、ステキすぎるネーミング満載のみうらじゅん法師。自分もカッコイイ言葉をまんま使うのはヤダナーと思ってるとこあるので、大いに参考にしたい)


最近は何をやっても結局「メタ認知」に辿り着いちゃうので、どうにかしてこの「メタ認知」に、「ちょっとアレな感じの名前」をつけたいところ。


メタなんとかが大事なのは、「自分が今現在やっていることをチェックする」能力だからみたい。車と整備技師の関係みたいなもんか。


メカニックに詳しい人であれば、◯◯から変な音がしたから、これはマフラーにヒビが入ってるとか、「ここに問題ありそう」という知識+経験があるはず。


これを自分ひとりでやっていくのがメタなんとか。車(自分1)の状態を技師(自分2)がモニタリングする感じ。


で、結局これがないと「なにかを身につける」のが超タイヘンになるみたいなんだな。装備品が「ひのきのぼう」のまんまだよ!的な。


「すぐやる人だけが〜」みたいなライトンメント本もたまに必要に迫られて目を通すんだけど、どれも決まって「自分にとってなにが大事なのか見極めよう」とか書いてある。


ところがそれが分かるためにはメタなんとかが必要なのだからやりきれない。


しかもライトンメント系では、「大事なこと」が「前提条件」になってるから、まずそこが決まらないとその先の方法が全く使えないという。


さすがにそういう事例を10も20も目にすると、「じゃ、メタなんとかはどうやって身につけるんだい」という疑問を持つ。


それで先日、ヒントっぽいものが見つかったんだけど、それが「状況モデル」。


書いてあることを読み取って、「読み取った情報」に「自分がもともと知ってること」を組み合わせる。そして「いま書いてあること」から「その状況を想像する」。


書いてあることから、その「舞台」をイメージできるかどうかってことなのかな?  誰と誰と誰がいて、ドアはこの辺で、照明はここにある、みたいなことを「頭の中に作れるか」という。


根が深いナーと思ったんだけど、この「状況モデル」を作れないと「そこに書いてないことには答えられない」そうなんだな。


ピコピコ修業で色んなテキストに目を通したとき、ほとんどすべてに「基礎がないYo!」という嘆きが共通していた。


書いてあることを全く同じ形で再現はできるんだけど、「書いてないモンダイ」が出てきた瞬間、全てがストップ。そこまでじゃなくても、軽くトラブった時の対処法が全く予想できない云々。


そのことと、この「状況モデル」が関連性ある気がしてならない。というより、状況モデルの話きいて、「応用できる/できない」のポイントはこれか?!と思ったという。


しかしこれ、もっとキッツイのは「状況モデルを作れるかどうか」は、「その人の背景知識」に依存するそうな。北極なら北極、ピコピコならピコピコ周辺の知識がないと、「状況モデル」が作れない。


これでおやっと思うんだな。だって「情報は網の上に転がってるから、たくさん覚えることは必要ない」と言われるのに、「その情報を使いこなす『応用力』は、自分の中にたくさんの知識が入っているかどうか」が決め手になるのだから。


もっと始末が悪いのは、「知識を自分の中に上手に取り入れる」ためにこそ「メタ認知」が必要なんだから。


前に好奇心本を読んだら、たくさん知識がある人は新しい知識をすぐに消化できるけど、知識がない人は新しく入ってきた知識を消化するのにいっぱいいっぱい。


で、「すぐ消化できる」人と「消化に時間がかかる」人の差は、指数関数的に広がっていくから(うろ覚え数学表現(´∀`))、時間が経てば経つほど差は広がる一方だ、云々。


読んでる人も相当ゲンナリしてきたと思うけど、こっちも前々からこの堂々めぐりに激しくゲンナリしている( ´ ▽ ` )ノ  


そんな時だからこそ「みうらじゅん法師」のネーミングが欲しいんだな。こんな身も蓋もない話をド正論で展開されててもドヨ〜ンとした気持ちになる一方なので、なんとか柔らかくしたい。


ところがそんなうまいネーミングはそうそう思いつくもんじゃないから、いまだ1人ブレスト中(^∇^)。メタなんとかのリサーチは超ゲンナリする話ばかりなので、早めに見つけておきたいなぁ。


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-25 12:00 | Comments(0)

基金とプロデューサーの史料集 マガイアー『ボーリンゲン』(異貌の人文学)

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(送られてきた『白水社の本棚』(PR紙)を読んでいたら、ウィリアム・マガイアー『ボーリンゲン』がもう出ていたと知る。スイスで行われたエラノス会議や、そのスポンサーとなったメロン夫妻の話が記されているそうな。白水社から税込7,344円にて発売中)

こっちがピコピコ修業に明け暮れているうちに、『異貌の人文学』シリーズも新刊が出てたみたい。これまで高山御大の作品中でちょこちょこ名前が挙がったボーリンゲン基金の話題。

白水社のPR紙を読んでたら、その基金の助成を受けて出版された書物に、ジョーゼフ・キャンベル先生の『千の顔を持つ英雄』も含まれていたとな。

「先生」をつけるくらいだから、キャンベルさんの著作は大変に尊敬、その人格にも敬意を持ってるので、それがボーリンゲン基金と関わりあるとは知らなんだなぁ。

相当前に映画関係の集まりでもそんなこと言ったんだけど、個々の作品より「配給」とか「映画のプロデューサー」が何やってるか、そっちの方を知りたいという欲求がある。

ボーリンゲンにもやっぱりそういう「プロデューサー」的な立ち位置を担った方がいて、それがメロン夫妻と言うそうな。ユングに傾倒して、それが基金設立にまでなっちゃうのだからスゴイ。

つねづね、言葉や音楽と同じくらい、売ったり買ったりする「商行為」も人間の基本的な行為だと思ってるので、環境を成り立たせる「プロデューサー」も大事だよなぁと。

なんだっけ、フランスの室内画を描いてたギュスターヴ・カイユボットさんは、自身も絵描きだけど、周辺の描き手のプロデューサー役を務めてたみたい。

プロデューサー的な人はあんまり注目されないけど、自分の関心としてはそっち方面が主流になりつつある。ーーというわけで、「研究のプロデューサー」視点でボーリンゲンについて眺めてみたいと思います( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-21 12:00 | Comments(0)

反対の賛成ナノダ 数学得意で語学超ニガテな人を求めて

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(語学は得意だけど数学まるでダメ、という話はよく聞くけど、数学は得意だけど語学はまるでダメ、という話はあんまり耳にしない。単に自分の自然科学に対する知識がそもそも少ないからだけど(^∇^))

「イエズス会」でない方のJSをやっていたら、ピコピコ系インプット量がオーバーフローしたらしく、ボエボエ〜とジャイアン状態に。

何事も上昇段階が面白いからと取り組むのはいいけど、過ぎたるは及ばざるが如し。インプットに対して消化のスピードが追いつかなかったみたい。

で、もともと馴染みある人文系の知識に戻ると、「成績優秀だが数学だけはダメ」という人がちょいちょい見つかる。

フランス文学だけでも、ヴァレリーはビックリするくらい数学苦手で軍の採用試験で落第寸前だったとか、モーパッサンも数学だけはまるでやる気なかったとか。(モーパッサンは操船もするのに航海技術はどうしてたんだろう)

自分の好きなメルロ・ポンティさんも、網で引いたラジオ番組に出演してるのが見つかり、文学に進みたかったけど数学がダメダメだったので、「少しでも文学寄りのものを」というので哲学に行ったらしい。

こういうエピソードはたくさんあるけど、一方で「学業全般に優秀で、語学だけはダメ」という話はあまり聞かない。「気がする」レベルだけども( ´ ▽ ` )ノ

自然科学の分野はそもそもの知識が欠落してるせいもあるけど、アンリ・ポワンカレさんなんて達者な文章を残してるし、アインシュタインさんも(致し方ない理由あるとはいえ)アメリカに渡ったりしてる。

古い時代でも、ライプニッツやニュートンのご両人も、当時の公用語であるラテン語身につけてたから、一般に言われる「語学ニガテ」とは意味が違うだろう。

ひとつ思うのは、自然科学の分野はニュートン、アインシュタインクラスに突出した人のエピソードばかりが目立つけど、自然科学の世界で生きてる人はニュートンやアインシュタインだけじゃないもの。

また一方で「理系のための英語論文入門」とか、もっと卑近な話として「語学は覚えるのがメンドイ」などなどの話はよく耳にする。

一方で自分からすると「そんなに覚えるのってメンドイかな。覚えちゃった方が簡単なこともある気がする」なんて思ってたんだけど、そもそも自分の言う「おぼえる」とメンドイと言う人の「おぼえる」が同じかはわからない。

言葉の世界のやり取りはこうしたことが大変あやうい、と気づいて、それでせっせと絵を描いている気がするな。

それこそ外国語並みに「全く通じない」ならいいんだけど、なまじ「おぼえる」などと「同じ表現」を使っていると、向こうもこっちと同じ意味合いで使ってると思い兼ねない。

それでまあ、絵を描くことで自分なりのリスク分散を狙ってるんだけど、「『おぼえるのが大変』って、どんな感じなのかな」という興味も継続させたい。

こういう時に、代表例として数学をバリバリやっていて語学ダメダメだった人の文章に接してみたいんだけど、探すところから難航しそうな予感(^∇^)

それこそアンリ・ポワンカレさんは、フランス語のご縁もあってとっても気になってるのだけど、いまだその文章に接する機会がない。

とりあえず、買ったまんま積ん読になってしまっている、『Imagery in Scientific Thoughts』に再挑戦しようかな。

こういうのって、「そうだったのか!」と池上ダレカばりに気がついた瞬間が楽しいので、きっと「おぼえるのがメンドイって、こういうことだったんだ!」と分かったらさぞ楽しいだろうと思う^_^

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# by ulyssesjoycean | 2018-01-20 18:00 | Comments(0)

高山御大の「最終講義」は、「名コンビ」誕生の前触れ? 大妻女子大の「副学長」に!

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(高山宏御大の蔵書一般公開が2018年にあると思ったけどーーと調べたら、ありゃ、先日が最終講義だったのかと知る。でもそれ以上に「今後は副学長として」という文言あってビックリ!  『アレハンドリア』で跋文を書かれた学長・花村邦昭さんは粋な人事をなさるなぁ)

「最終講義」というと、即「西脇順三郎」先生が思い出されるけど、おお、高山宏御大も「最終講義」とはーーと感慨にふけっていたら、今後は「副学長」の由(^∇^)。

自分の場合、高山御大の手法で自分のコアになってることは、「マッピング」かもしれない。最近になって気づいたんだけども^_^

というのも、新しく始めたピコピコ学習でも、1ページ目からスタートして最後まで直線的にやりきる、なんてことはしない。

あ、これは自分には合わないな、今現在必要にしてることに繋がらないな、と思ったらバンバン飛ばす。だって自分が必要とするのは「最終的に必要なスキルを身につける」であって、「参考書を順番通りにキチンと終わらせる」ことではないだろうーー

と思って来たんだけど、これは案外むずかしいやり方なそう。で、なんでかなーなんでかなーと稲川淳二ばりに考えていった結果、「マップがあるか/ないか」の違いかもしれない。

RPGなんか典型的だけど、常に自分のいる場所がマップで分かるし、必要があれば「せかいちず」を出して「今どのへんかな」と確認できる。体力その他の数値もいつも見えるから、いったん街に戻ろうとか。

どうも、『自分クエスト』の「マップ機能」を担ってくれてるのが「タカヤマ学」みたいなんだな。この先には◯◯がいるぞ、とか、前に見た✖️✖️と似てる気がする、なんて。

実際、プルーストへの関心からラスキン読んでみたら、おお、ピクチャレスク美学が出てきたよ!と。こういう「先回りされてる」感が大変おもしろい。

またさっきのRPGの喩えで言うと、「タカヤマ学」=「ルイーダの酒場」みたいな面がある。そこに行くと冒険に行く仲間が見つかる、みたいな。『どうぶつの森』ほどファンシーではないけれども( ´ ▽ ` )ノ

最近やってるピコピコでも、「ノード」(node)という概念が頻繁に登場するけど、タカヤマ学が一個の超デカイノードとして存在してて、それを起点にサブノードからリンクがうわっと広がる、みたいな。

それを「絵に描いて見せる」ことをやってたら、自分のやってることは(畑は全然ちがうものの)「マッパー」みたいなもんなんだなと、人から言われて気づいた次第。

で、やっと冒頭の「副学長」に戻るんだけど、デカーイ展望を描くという面でマネジメント側はピッタリな気がする。使われすぎなマネジメントも元々は「馬を引っ張っていく」ことだそうから、まさにマッピング的な役割。

あと、いいな、と思うこととして、学長の花村邦昭さんと二人三脚でことに当たるわけだから、これは自分が常々提唱している「レノン&マッカートニー」理論につながる。

すごいチームには必ず「強力なコンビ」がいて、ビートルズを例に挙げないまでも、周囲を見渡せば、「なんかうまく行ってるグループ」にはそういう組み合わせが。

そういうのは狙ってなかなかできるもんじゃないだけに、一方を人文のコアである高山宏御大が、もう一方を金融のコアを見知った花村さんが担うのはワクワクする組み合わせ。

実際、人文のコアの考え方(語学含む)は、経済学と一番相性良い気するので、「タカヤマ経済学派」(自称)的には、これが画期になるといいななんて考えてる次第。

学恩が大きいだけにロコツに書くのもなと思って控えてきましたが、最終講義の機会プラス、遠慮しなくて良さそうと教えてもらったので(´∀`)、ドドンと書いてみました( ´ ▽ ` )ノ

*下記は高山宏御大の最終講義ツイッターまとめ


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-18 12:00 | Comments(0)

ロンギヌスじゃないよ、ロンギノスだよ 西洋古典叢書の新刊

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(向いてない割になんか気になる古代ギリシャの世界。京都大学の西洋古典叢書で今度、ロンギノスという人の論集が出版されたようだ。税込4,968円にて発売中)

2017年は哲学思想にドップリ、ショーペンハウアーさんが名文家だとか、ルソーさんがヴォルテール以上にキテる人だったなど、色んな発見が。

清水書院のセンチュリーブックスのほとんどに目を通してわかったのだけど、やはり自分が「なんかキョーミ持てない」分野として、古代ギリシャとインド哲学と仏教思想が浮かび上がってきた。

ある意味、地図を塗りつぶしてるみたいなもんで、シリーズ全巻に目を通したはずが、あれ、この区画だけキレーに色が塗られてないみたいな。

好き嫌いというより、頭に入ってこないという感覚だから、「体質」みたいなことなのかも。同じ古典でもラテン語は割合一生懸命やっているし。

とはいえ、ヨーロッパ思想の2大潮流がラテン語とギリシャ語だから、向いてないなりにギリシャ語にも関心は続いている。

それで言うと、なんかの本で名前だけ知った「ロンギノス」さん。決して有名ではない、どころか、どマイナーな古代の書き手の名前になんか引っかかったのは、きっと「ロンギヌスの槍」が頭にあったからだな(^∇^)

実際、ロンギノスとロンギヌスは違うものらしいけど、この古ーい時代に文芸批評的なことをやっているというのに興味が湧いた。

古代ギリシャというと演劇と哲学が2本柱だから、そのどっちにも馴染めない中で、文芸批評は珍しい。古代ギリシャと言っても、アレキサンドリアとか、時代と場所は違うかもだけど。

京都大学の西洋古典叢書、こうしてラインナップが揃ってくると、法政大学出版局の叢書ユニヴェルシタスと印象がカブるな。その価格帯含めて( ´ ▽ ` )ノ

*でもアチラのハードカバーとか探すと、この倍はするのがズラッと揃ってるから、あんま驚かなくなってきた
*Brill社なんかはその最高峰だなー、眺めてるだけでお腹いっぱいです(´∀`)


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-17 12:00 | Comments(0)

ピコピコ武者修行に出るときは、「3つのアイテム」装備から

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(アリスに出てくるバケモノっぽいところまで来て、やっとこの『プログラムはこうして作られる』の意図が見えてきた。逆に今こそこの本に再入門すべきかな。平山尚『プログラムはこうして作られる』は、秀和システムから税込1,944円にて発売中)


ピコピコ武者修行も、多少は知識がついて環境も整ったので、ちょこちょこと進めてる形。


アリスに出てくるバケモノっぽい名前にも着手したし、蛇三も入れてみたりして。


ただこれ、 「サッサと終わらせたい」という気持ちの方が近いかもしれない。こういう基礎レベルのことは済ませてしまって、いちいち参照しなくていいようになりたい、みたいな。


語学の場合も、ひとつの言語をキッチリ身につけると、それ以降はそこまで大変ではない。ひとつ目を身につけるときは「自分に適した身につけ方」も身につけなくてはいけないから。


ちょうど今のピコピコ修行もそんな感じで、基本的なところをカッチリおさえるのにキューキューとしてる感じ。


各種のピコピコ参考書のお世話にもなるんだけど、ピコピコ界は「若い頃から適性ある人向け」に書かれてるものがほとんどなので、自分のように「やむにやまれず」やり始めたニンゲンには適してなかったりする。


*よくよく考えれば、全ての「参考書」「入門書」はそうした傾向強いかもしれないけど


で、何が合わないのかなーと考えてみると、ピコピコ界の風潮として「まず全体を網羅」して、必要あったら「網を引く」みたいな。ぜんぶを一通りやって初めて実際のモノに取り組む、みたいな。


ところが自分の場合、「まず実際にモノがある」状況からスタートしてるので、「網羅的に学習する」のは非効率になっちゃう。


ピコピコ修行を始めた理由も、「ソレハナイ」的なイベントがあったことから「自分でやっちゃった方が早くない?」と思い切った面がある。


そうすると「この状況をナントカするための力と方法」がまず必要なので、「いつ使うのかわからない方法も一緒くたに学ぶ」のはキツイ。


そこから悪戦苦闘して分かったのは、冒険に出る前に「そうび」しないといけないアイテム3つあるということ:


1.思った時にパッと使えるピコピコマシン

2.命令文を打ち込むための編集者ソフト

3.用語の「語源」解説


1.についてだけど、こっちはもうデッカいピコピコに向き合うのは「イコール肩コリ」な印象しかないので、その負担をいかに減らすかが要になる。


それも、いざ使おう!となってからモッサリしてるマシンだとその間にやる気がなくなるので、「本棚のマンガ本を立ち読みする」くらいの手軽さで点けたり消したりできるのが最高。


将来的にはメソポタミアの粘土板と同じ名前のやつで出来るようになるそうだけど、とにかく「思い立ったら即実行」できないと、「致し方なく始めたピコピコ修行」には大ハンデと悟る。


2個目なんだけど、これは『Brackets』さんがあったおかけで解決! というより、他の編集者ソフトではピコピコ修行を続けてなかったな。


なぜそう言い切れるかと言うと、色々な編集者ソフトで試しては止めてたから(^∇^)  だってねえ、まず文字がちっさいんだもの。


それは設定から変更できたのかもしれないけど、ピコピコ本体を点けるところから抵抗あるのに、細かいところの設定してまで使いたくないYo!という後ろ向きスイッチがスゴイ。


それがBracketsさんでは「予測変換」「見やすくて大きな画面」「書いたものチェック機能」まで付いてるので、肩コリに悩む初心者としては本当にありがたい。


で、最後の3つ目なんだけど、実はこれが一番の難関だったりする。1と2は機械と、その機械に入れて使うソフトだったから何とかなるけど、「用語の由来」は殆ど情報がない。


自分が一番最初に知りたかったのは「href」。読み方がわかんないから発音のしようがないもんな( ´ ▽ ` )ノ   「フレッフ」とかテキトーに読んでました。


*そもそも発音しないでしょ、と言われても、「現実の状況」からスタートしてると「発音できない」のは会話の時に大変コマルのです


結果、(諸説あるものの)「hypertext reference」の略らしいと掴めてから、問題なくやっていける。


ーーこういうのが一事が万事で、「aの1文字でanchorを連想させるのはムリがある」から、「elseは『別の何か』という意味の方のelse」と確認してかなきゃいけない。


いっそぜんぶ英語にしてくれればいいのに、と、数学をやった時と全く同じことを思ったな(^∇^)。「演算子」は「operator」の方が分かりやすくない?という。「引数」より「parameter」の方が用語として的確な気がしてならない。


逆に、そこがきちんとフォローできるようになれば、後から始めたピコピコ武者修行もそう悪いもんではないな、というのが今の心境。


ただこの、最初から向いてる人と、後からスタートする人のズレってのはメチャメチャ大きい。これも結局、ピコピコの世界に限らないわけだけど。


前に高千穂遙さんの自転車本を読んでいて、「自転車の法律作る人は、1日でいいから自転車に乗って実際に走ってみてくれ」という内容のくだりがあったな。


世の全てはそういうモンかもだけど。「自転車に関わる人は自転車に乗ろう」という。でもそれがそうなっていかないのはなぜかな、なんて。


せめてものことに、自分用に「ピコピコ用語の由来ノート」だけでも作ろうかなと思案したり。用語の説明はいっぱいあるんだけど、「なんでその表現になったか」はまるで見当たらないから( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2018-01-12 18:00 | Comments(0)

『文学問題』とプルースト、「書き言葉」を思う

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(賛否が分かれすぎの夏目漱石『文学論』を、みんながちゃんと使えるようにしようと編まれた『文学問題(F+f)+』。先日やっと一読できたので、ここから自分の貼ったポストイットや、欄外の部分を読み込む2周目がスタート。なんだか「やりこみ」系のゲームみたいだけど(^∇^))


山本貴光さんの『文学問題(F+f)+』(幻義書房)をようやく一読!  エフエフと名前が付くだけあって、やりこみ要素満載のゲーム一本をクリアしたような達成感。


当然、ここから2周目が始まるわけだけど、まずは初回プレー時の印象、じゃなかった、一読の印象をひとつ。


夏目漱石さんは「文学」という言葉の曖昧さに納得いかず、その成立条件とか、そのルールを見つけようとしたみたい。


最近自分でもアチラの仲間と組んでやり取りすること多くなり、「言葉の定義がハッキリしないまま会話するのはマズイ」と直感。


ピコピコで何かする場合、「ボタン」「パーツ」「部品」みたいに言い方が複数あると大変ややこしい。特にまだ会話段階だと結構厄介。


それで、まだモノはないから絵を描いて、ここのこの部分はこの名前にしよう!なんて音頭取りをしたりする。実際「ちゃんとした名前をつける」のもデザインの一環なんだそうな。


実際に目に見えるモノができる世界でもそうなのに、言葉を相手にした「文学」で「定義のしようがない」もしくは「人によって定義が全然ちがう」のは、漱石さんにとって我慢ならなかったはず。


ところが今もって何が文学で何が文学じゃないかはサッパリ分からない上に、そもそも「本を読む」こともよく分かっていないそう。


ーーこうしたことを山本さんの大冊で頷きながら、時にそうかなぁと首をひねりながら楽しんだけど、読み終わってみて思ったことが一つ。


読中読後、一貫して思い出したのがプルーストさんの文章。今回の『文学問題(F+f)+』を読みながら、「プルーストさんみたいだな」という思いが。


比喩とか例えのタイミングなんかもそうだし、オー、これはプルースト、なんて。同時並行でプルーストの評論を読んでたせいもあるだろうけど(^∇^)


ところが、前著の『百学連環』ではそうした印象なかったから、今回の文学問題エフエフでは、伴奏者がプルーストだったのかなと勝手に思うことにした。


で、プルーストさんのあんま有名じゃない評論を読んで見ると、漱石さんが『文学論』で取り組んだこととプルーストさんの言いたいことが何かしら共通してる印象ある。


プルーストさんもサントブーヴに反論するところから作品作りをしてった面大きいので、今ある批評のやり方に「そうじゃないだろう」と正面から向かっていったのが漱石さんと似てるのかも。


なんにしても、なーんか気になることをプルーストさんが言ってる雰囲気が伝わってくる。『文学問題(F+f)+』も、自分なりの文学論がテーマなわけだから、プルーストさんを副読本にしておこうっと(´∀`)


あとはもっと心理学よりに行っちゃうと、読書以前に「書き言葉」ってなんだろう?というのがある。


漱石さんもプルーストさんも「文字を読む(=書き言葉の世界に入る)」ことについては前提条件にしてる様子。それはフツーのことだから取り立てて説明しなくていい、みたいな。


一方で、いわゆるÉcoleでÉducationがうまくいかねーという場合、この「書き言葉に入れない」のが結構大きな理由みたいで。


自転車に乗れるようになった後、自転車に乗れなかった状態(以前)は思い出せないように、書き言葉の世界にも入れるようになってからでは、入れない人の気持ちはわかんない部分も。


本がキライだーという人の話もよく耳にするし、それに対して教養主義的な反論をしてるのも目にするけど、「じゃ、さほもそもの書き言葉ってなんなの」というのは気にかかる。


ヴィゴツキーさんの本を読んだら「書き言葉の世界に導くのが教師の役目」と書いてあったから、「話し言葉」と本質的にちがうものなんだよ、と。ヴィゴツキーさんはそこに気づいてたのがスゴイ。


さっきの自転車の例えじゃないけど、書き言葉の世界に入るためには、何らかの訓練が必要なんだろう。決して「自然に」「誰にでも」「何もしなくても」身につくものではない。


言われてみれば、自分も最初はショートショートとか、ものすごく短いものを読んで、その後に短編小説、そしてなにかのきっかけで「一冊の本を読んでみよう」とした記憶ある。


あれ、そういう段階を全部すっ飛ばして、大人向きの小説を丸々一冊読みなさい、というのは、ムリがあるんじゃなかろうか。自転車に乗ったことない人に、ツーリングに行けレベルで。


このまま書いてくと長くなるばかりだけど、プルーストさんと並んで、書き言葉って何かなとか、やたら本質論なことに目を向けさせてもらう貴重な体験でした。


あとはこっから『文学問題(F+f)+』の欄外注を一生懸命チェックするんだろうなー( ´ ▽ ` )ノ  なんか「音声学」の話は読んでる時から気になってたんだけど。



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# by ulyssesjoycean | 2018-01-07 12:00 | Comments(0)

これは文系理系の「橋渡しヒント集」? 山本貴光『文学問題(F+f)+』を改めて

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(2017年は数学+ピコピコにガッツリ取り組むことができたので、2018年はその逆のアプローチ、「語学がキツイ!と感じる理由」をテーマにしたい。で、山本貴光さんの大冊『文学問題(F+f)+』を読んでたら、あ、なんかそのヒントが書いてある!と感じたな。幻義書房から税込3,888円にて発売中)

2016年からスタートさせた数学学び直しを土台にして、2017年はピコピコで旧跡を自分一人で作れるところまで来た!

で、数学もピコピコもやってみてわかったことは、語学系とは「アプローチがまるで逆だ」ということ。

語学人(*自称)の観点からすると、母語じゃない言語に取り組む時は「歴史や文化」「その言語の文脈と全体像」「一定以上のインプット」じゃないかなー。

これをもっと大雑把に言うと「大きなワクから小さなワクに降りていく」感じ。地図で言えば、大陸(デカイ)→国(そこそこデカイ)→市町村(それなり)→住んでる場所(一点)の順番。

で、自分なりの理解で言うと、数学&ピコピコはこれが逆アプローチなんだな。自分の住所からスタートして、建物や道路を確認しながら市町村へ、それがだいぶ進むと国の単位が出てきて、やっと最後に大陸、みたいな。

山本貴光さんの『世界が変わるプログラム入門』でまずビックリしたのがそれだったな。「XY座標があるなら、まずXから決めていこう」という。

これを読んで、「ええっ?! XとYを別々に処理するの?!」と大衝撃。(X,Y) = (3.7)とか、パッとやれないの?と大ショック。

それまで「ここまで小分けにする」考え方をしたことなかったから、山本さんの新書を読了するのに1ヶ月弱はかかった気がする。それくらい「自分に全く馴染みのない発想」だったんだなー。

「大きなワクから」スタートしてた人間が、「それ以上小分けにできないレベル」からスタートするのだから、発想が真反対。

今は前提知識も増えたし命令文即座を打ち込むのもオーケーになったけど、最初はかなり抵抗あった。たぶん「自分が『当たり前』にやっていることを一旦ほぐす」必要があるからだろう。

そんな経験を2年かけてしてくると、外国語がツライツライという人にも、何かしら学び方のミスマッチがあるんではないか、と思ってしまう。

さっきの考え方を逆さまにすると、「まず小分けにするのを止めましょう」「可能な限り大きな全体像を先に決めてから」なんて言われたら相当困るんじゃないかな。

つい先日、ピコピコの「どこまでキッツイの耐えられるかお試し」参考書を読んでたら、「イナゴ」という道具名から『出エジプト記』への連想がゼロなことに愕然としてしまった。

その「イナゴ」道具を作った人は『出エジプト記』のモーセさんのエピソードを命名の由来にしてるはずなのに、これでは作者があまりにフビン、と思ってしまう。

こういう、「領域ごとの知識のギャップ」はどうにかならないものだろうかーーというのを年末に考えこんでしまったので、それが結果的に今年のテーマかな、と。

そんなこんながモヤモヤしてた時に『文学問題(F+f)+』で漱石の思想に触れて、「あっ! これは何かヒントがあるぞ!!」と感じた次第。

ただ困ったことに「何かヒントがある」という直感がまずあって、それが何なのかは「後からわかる」のだからやりきれない。

前にミヒャエル・エンデさんが、絵画に描かれるイエスを見ても漠然とした印象しかなかったのが、トリノの聖骸布を見て「間違いない、これがイエスだ。なぜ知っているのか、わからないけれども(^∇^)」と笑いを交えて語ったエピソードを思い出す。

今年もキホン、何かしらを調べてる時の直感を道しるべに、「どうもコッチじゃないかな」と脱線しながらやっていきたいと思います( ´ ▽ ` )ノ

この1〜2年で「自分がもともと得意じゃないことの方がオモシロイぞ」と気づいた面もあるので、ケーエンしてきたピコピコや自然科学(+工学)方面の探索はしばらく続きそう。

そんな1月1日の投稿でした(^∇^)

おまけ:『文学問題』に出てくる漱石さんの考え方。「西田幾多郎じゃないの?」と思うくらいソックリな考え方。漱石も西田も同世代らしいけど、発想があまりにも共通しててビックリ。



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# by ulyssesjoycean | 2018-01-01 13:49 | Comments(0)