マンガとアニメーションと人文を、脱線(Digression)でつなぐブログ。
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ほっこり系マンガばかり読んだ2017年、『こぐまのケーキ屋さん』の発売が待ち遠しい!

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(2017年は楽しむマンガの冊数が他のジャンルに比べて減ってしまったと反省。少ないながらも再三再読したのが吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。作者のヘンボーぶりがすごい(^∇^)。新潮社から税抜き560円にて発売中)

2016年はアニメーションに触れる機会がパターンとなくなり、2017年は限られたマンガ作品を何度も何度も読み込む形になったなー。

吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』はそうした一冊だけど、あんま馴染みない(申し訳ない!)新潮社のバンチ系コミック。

それでハタと気づいたけど、『モブ子の恋』で単行本を発表した田村茜さんも、これもまた馴染みなかった(失礼!)ゼノンから。
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こういうのって往々にして、キーになる編集者さんが邁進した結果だったりするんだよなー。

一時期愛読する作品の単行本を見たら、奥付の欄に出てくる「担当編集」が同一人物だったなんてことも。

ヒョンなことから大反響になった『こぐまのケーキ屋さん』、単行本化はすでに決定してるそうだけど、版元はどこになるのか、そうした観点からも楽しみだったりする。
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(こぐまのケーキ屋さんは週刊+まとめ掲載でニュースサイトでも読めるようになつたそうです。出典:

近年は「力の入ったものすごい作品!」よりも、こうしたミニマルな世界でほのぼのしたものが読者としては楽しみになってきたなー。

ここまで書いてきてわかったけど、2017年はほぼ毎日何かしら「絵を描く」作業をしてきたので、読者としてマンガに触れる圧が減ったのかもしんない。

もちろん自分が描いてるのはマンガじゃないけど(^∇^)、日常的に絵を描いて、更にその作業の満足度高いから、活字の方にエネルギー向かったのかも。

まあそんなこんなですが、2017年もこの脱線ブログをお読みくださり、ありがとうでした( ´ ▽ ` )ノ  

*新年とかの区切りはあんまないので、気が向いたのが新年次回の投稿になる予定

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# by ulyssesjoycean | 2017-12-31 15:53 | Comments(0)

2017年の読書大賞は「清水書院のセンチュリーブックス」が受賞ヽ(´▽`)/

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(前にカントを調べようとして、入門書としてオススメ頂いた清水書院のセンチュリーブックス。2017年はシリーズをほぼ全巻通読[!]したので、本当にお世話になった。どれも一冊1,000円以下なのが嬉しい(^∇^))


時期的に2017年のベスト作品などコメントする時期だけど、今年に限って言えば、「清水書院のセンチュリーブックス」しか思い出さないなー。


2017年は「哲学思想」「経済学から見た心理学」「ピコピコ学」が3本柱。


で、哲学思想部門のトップ受賞が、「清水書院のセンチュリーブックス」という、シリーズそのものになるという。


センチュリーブックスの特徴として、前半は「思想家の人生」、後半は「その人の思想」という構成がある。


その思想が生まれた時代背景とか、その人の交流が見えてくることで、より考え方が立体的に捉えられる、なんて。


でも1番の特色は、「その思想家を担当した著者が、自分と思想家との関わり」を土台にしてることだろう。


シリーズの編集者的立ち位置にある小牧治さんが顕著だけど、大正時代の農村に生まれ、なぜかくも貧しいのかという痛切なギモンからマルクスに向かった、とかとか。


それでマルクスが好きになるわけじゃないけど(^∇^)、やっぱりそういう「抜き差しならない思い」からスタートした学問は、こちらにも訴えるものがあるんだな。


*この小牧治さんが専門とされたカントの一冊がべらぼうに面白かったので、シリーズ自体のファンになった気もするし


センチュリーブックス(ほぼ)全巻通読の1年だった中で、さらにそこからベスト作品を選ぶとなると、工藤綏夫『キルケゴール』かな。


ーーというか、2017年で「再発見」できたのは、このキルケゴールさんだろう。


19世紀はそれまでの考え方と新しい考え方がぶつかって、色んな人が色んな方法でもがいていた時代みたいだけど、このキルケゴールさんは心を打つものがあったなー。


自分はクリスチャンじゃないけど、聖書は文語訳を取り寄せるくらいだから、未だに「なんだろう?」という関心が続いてる。聖書は「世界一のベストセラー」だから、そりゃそうかもだけど( ´ ▽ ` )ノ


キルケゴールさんは完全に形骸化した教会や信仰を、本来的なキリスト教の姿を取り戻そうとしてムボーな戦いをスタートさせた人。


キルケゴールさん自身、神学を学んで牧師資格を持ってるくらいだから、当時の教会についてなんか言えばそれがぜんぶ自分に返ってくるんだな。


それで大いに迷ったり、振り切ったりして執筆してるところに、けっこうグッと来るものがある。キルケゴールさんの本を読んでて、ボロボロっと泣いたりしたもの。


そういうキッカケを与えてくれたという点で、2017年の読書部門は「センチュリーブックス」が受賞!  受賞ったって、「みうらじゅん大賞」みたいなもんだけど(^∇^)


ただここまで持ち上げててなんだけど、センチュリーブックスでは、明らかにドイツ系、イギリス経験論に名作多くて、フランス系はヌーというもの多いのでご注意を。


ただその中でこりゃすごいと思ったのは『ルソー』。これは良いですヽ(´▽`)/  ルソーさんの「どうかしてる」エピソードも多数収録されてるので、フランス系ではイチオシ。


あ、ルソーさんはスイスの生まれだから、「フランス語圏」が正しいけれども。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-30 12:00 | Comments(0)

吉川景都『子育てビフォーアフター』第2巻は2018年1月9日発売!

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(2017年で一番読み返したマンガ、吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。第2巻が2018年1月9日に発売されるということで楽しみすぎる(^∇^)。画像出典はコミックバンチ編集部より。http://www.comicbunch.com/blog/?p=1335)


もはやサツバツとした話に対する耐久力が、ナポレオンのロシア遠征並みに弱体化してるので、日本語なら古文、マンガなら赤さん。そんなすみ分け。


で、2017年にリピート回数最多を記録したのが吉川景都さんの『子育てビフォーアフター』。赤さんだけでなく、吉川家の4匹の愛猫が個性的なので、期せずして「赤さん対ネコ軍団」に。戦うわけじゃないけど( ´ ▽ ` )ノ


ということで、新年の買い染めマンガは『子育てビフォーアフター』の第2巻になるのは間違いないナー。楽しみダナー。



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# by ulyssesjoycean | 2017-12-25 12:00 | Comments(0)

メーテルリンクは19世紀の行動経済学者?

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(邦題が自己Enlightenmentみたいで敬遠してたけど、中身はバリバリの心理学書だった。行動経済学のダン・アリエリーさんが言及してなければ、まず手に取らなかっただろう。著者のダニエル・ギルバートさんは経済学にも詳しい様子)


最近はフランス関係の本ばっかり読んでるけど、アンソロジーにおさめられた評論から急に関心を持ったのがモーリス・メーテルリンクさん。


メーテルリンクなのかメーテルランクなのか、作品はどんなものを書いてるかもあまり知らないで来たけど、この人、むしろ行動経済学者じゃないの?と思ってしまった。


ちょっと前にダニエル・ギルバートさんの『幸せはいつもちょっと先にあるーー期待と妄想の心理学』(早川書房)を読んだのだけど、それと全く同じことをメーテルリンクさんが言っているという。


なんでも、人間が過去を回想、未来を予想する時には、現在の自分の心理状態を参考にしてるのだって。


卑近な例で言えば、現在お腹いっぱいだとすると、明日のメニューはメンチコロッケカレーライスです、なんて言われたらウンザリする。逆に空腹の時は満腹の自分が想像できないとか。


これを理論と実験で検証していくのが心理学者のダニエル・ギルバートさんだけど、これと全く同じことを19世紀の文学者であるメーテルリンクさんが言っている。


データや実験はおろか、なんの検証もないところで、21世紀の研究内容の結果を、ほとんど同じ筆致で19世紀の人が書いてるんだから、さすがに驚く。


たまたまとか偶然はあるにしても、使っている例まで一緒だと、メーテルリンクさん、これはスゴイ人だという気がする。


ただ申し訳ないことに、メーテルリンクさんがフィクションの世界でどんなことやったかまるで知らない。名前は知ってるし、作品名も言われれば思い出すだろうけど、いわゆる大御所ではないんだろうな。


フランス文学なら(*好き嫌いはともかくとしても)、バルザックなら『ゴリオ爺さん』、プルーストなら『失われた時を求めて』、ゾラなら『居酒屋』なんて風に、ポンポンと名前が出てくる。


メーテルリンクさんにはそこがないので、テオフィル・ゴーチエさん的な立ち位置じゃないかなと。ゴーチエさんもよく知らないから(^∇^)


以前、福田恆存さんの作品を集中的に愛読してたとき、人間心理ということでは文学作品以上のものはない、というくだりがあった。


自然科学は仮説を実験によって検証し、上手くいかなかったら手前の段階から仮説や方法論を組み立て直すのが大事なプロセスだと。


そうすると心理学でも実験と検証を行うべきではあるが、こと人間の心理を扱う場合、「再検証できない実験手法」は倫理的にできないだろう云々。


そこから、人間心理に関しては文学以上のものはないと、そんな話だった気がする。福田恆存さんはD・H・ロレンスを出発点にしてるから、それも多分に関係あるんだろう。


*別にこの脱線ブログはロンブンではないので、気になる方は福田恆存さんの『私の幸福論』(ちくま文庫)など参照してください


そのことを今回、メーテルリンクさんの評論文を見て思い出した次第。申し訳ないことに自分はあんまりロレンスさんに馴染めないで来たのでピンと来なかったけど、その実例にやっと出会った、的な。


かといってこれでメーテルリンクさんの他の作品まで読むかどうかというと、その辺は自信がない(^∇^)。どんな作品を書いてるかも知らないから、まずその辺を取っ掛かりにしよう。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-24 12:00 | Comments(0)

プレミアビックリ価格のアリソン・ベクダル『ファン・ホーム』が12/20に再刊!

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(一時期中古で「ワーオ!」というビックリ価格がついていたアリソン・ベクダルの『ファン・ホーム』。舞台化した作品がトニー賞を受賞し、それが今度は日本でも上演されるということで再刊が決まったみたい。ビックリ価格で中古をムリして買う必要なくなったのは大変めでたい。小学館集英社プロダクションより税抜き1,800円にて発売中)


『New Yorker』とか『New York Review of Books』などのハイソ(っていま言わないなー)な雑誌で激賞された、アリソン・ベクダルさんの『ファン・ホーム』。


New York Review of Booksは、「NYRB Classics」というタイトルで超シブい名著を刊行もしてるので、その辺の読者層とモロ被りなんだろう。


実際、Max Beerbohmの小説&エッセイ集がNYRBに入ってて、しかもお手頃価格という大変ありがたい版元。自分の中ではNew Directionsの同じくらい感謝してるシリーズだな。


で、アリソンさんの『ファン・ホーム』は、まさにそういう「シブいねー」「わかってるなー、この人!」という名作を自作に溶かし込んでる雰囲気。まずジョイスを通読したのがエライ(^∇^)


自分はジョイス方面の関心が強かったけど、今度の再刊版を見てみると、本の「つくり」はかなりプルーストを意識してたのね。


初版はグリーンの装丁でキラキラっとしてたから見落としてたけど、花柄が表紙・背表紙にあしらわれていて、こんなにプルーストした本(*そんな言い方はない)だったのかと。


『ファン・ホーム』は父娘の話で、たしかにこのお父さんは色んな意味でプルースト的な人だから。本編のテーマはジョイスで、造本はプルーストにしてたのかな、なんて。


さっきのNew Yorkerにも関わるけど、そこの書評委員やってたエドマンド・ウィルソンさんとか、「ヨーロッパ系の教養を身につけたアメリカン」は何か一味ちがうなーと。


自分の本棚見ても、アメリカ系の作家で愛読したのはエズラ・パウンド、ヘンリー・ミラー、エリオット・ポール、エドマンド・ウィルソンなどなど、みんな「アメリカ生まれだけどヨーロッパの言語にも超詳しい」書き手が並ぶ。


純アメリカーン!な書き手は未だにシックリ来ないので、なんかしら共通点あると思うんだけど。


ーーで、『ファン・ホーム』の作者アリソンさんは、さっきのエドマンド・ウィルソンさんとか、「ヨーロッパ系の教養を積んだアメリカン」の正統という雰囲気。


そういう人が、グラフィックノベルという、マンガに近しいジャンルに出てくるのが興味深い。


フランスのBD作家さんたちは、芸術家(*これも日本語の芸術家とフランス語のl’artisteでは、なんて話はじめると終わらないので割愛)としての自意識にブレがないように思える。


先日、『闇の国々』も今は店頭で買えないのか、という話をしたばかりで、『ファン・ホーム』という買えなかった系の本が再刊されたのは嬉しい。


全然カンケーないけど、中古でビックリ価格、その後に再刊というので、なぜか「ちくま学芸文庫」が頭に浮かびました(^∇^)  小西甚一さんとかの本が手軽に読めるようになったので、ありがたいんだけれども。


*そういや大学書林さんのもワーオワーオがいっぱいあるので、何とかならないかなーと念じてたりします( ´ ▽ ` )ノ



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# by ulyssesjoycean | 2017-12-22 12:01 | Comments(0)

プルーストにようやくハマった 鈴木道彦訳編『プルースト文芸評論』

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(名著傑作が大量におさめられてる「筑摩選書」。「プルースト」「鈴木道彦」「筑摩選書」のキーワードにビビッと来たんだろう、気がついたら買っちゃってたという(^∇^))


別に大好きではないんだけど、なんだか妙に気になる書き手として、マルセル・プルーストさんがいる。


この映画、小さい頃に観た記憶はあるんだけど、なんかモヤモヤするみたいなものとして、ちょいちょい思い出すのがプルーストさん。


ずいぶん前に『失われた』は必要に迫られて全巻に目を通したけど、「思ってたのと違う」という印象強かったなー。


じゃどんな話を想像してたのか今となっては分からないけど、話の筋や長いセンテンス以上に、「なんでこの人、こんなに『例え』ばっかり使うんだろ」というのに引っかかった。


例えにも色々あって、プルーストさんのはメタファーと言うらしいけど、こういうメタファーって普通、むしろ「使わないように工夫する」んじゃないかな、と。


「文学する」なんて気の利いた言い方あるけど、メタファーは使えば使うほど「文学する」感じがするから、なるたけ使わないようにしようーー


エズラ・パウンドさんも、イメージを曇らせる表現はするなと厳命してるし、同様のことを言う書き手は多い。


それだけに、なんでプルーストさんはこんなにメタファーを多用するのだろう、メタファーを使うと陳腐化するのは百も承知なはずなのに、なぜワザワザ繰り返すーー


おかしいなーおかしいなーと稲川淳二ばりに首をひねるばかり。肝心の『失われた〜』を通読した記憶の方はどっかに行ってしまった(^∇^)


ところが因果なことに、プルーストさんのことをちょいちょい思い出すんだな、なんだったんだろ、アレ、という感じで。


通読時に英訳やフランス語の原文もちょこちょこ参照してたけど、無性にフランス語の原文にあたってみたくなる。


GF版でポツポツ揃えるだけでなく、書簡集まで買っちゃったりして、気になるだけにしては他の書き手と扱いがエライ異なるんだな。


やっと自分なりに腑に落ちたのは、アンドレ・モーロワさんの『プルーストを求めて』を読んだ時。「時間にたいする精神の闘い」というくだりで、「それだ!」と納得。


それでどうなるわけでもないんだけど(^∇^)、プルーストさんの情報はポツポツ揃えていたら、鈴木道彦訳の『プルースト文芸評論』(筑摩選書)に当たって、やーっと「プルーストさんはすごい人だったんだな」と思えた。


プルーストさんの評論の切れ味スルドイこと、この人すごいや、というので初めて素直に感銘。メタファーを使いまくった理由も、この人の美意識を追っかけると納得がいく。


モンティ・パイソンでは「プルースト要約せんしゅけーん!」なんて、出場者が『失われた』全巻を15秒にまとめるコントをやってるのに、こっちの辿り着き方が回りくどいのなんの。


最初っからプルーストにどハマりする人もいるみたいなんだけど、気にしてからファンになるまでが長いよ!と。


ただこれで、「なんでプルーストさんがこんなに気になるんだろう」のモヤモヤは解決したから、一安心(^∇^)


でもこれ、篠田一士さんが言うような、「作品の魅力を味わうためには、無理にでも一気に全巻通読すべき」は、マストじゃないような。


そのうち、「いや、その通りだ」と言い出すかもしんないけど( ´ ▽ ` )ノ、拾い読みでもオーケーな気がする。というか、『ゲルマント』『囚われの女』あたりをフランス語で読む気がしない^_^


ーーあ、でも『見出された時』はちゃんと原文で読んでみたい。その前の『ゲルマント』と『囚われの女』はスルーというのが読み方的にどうかしてるけれども。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-16 12:00 | Comments(0)

2017は理工系元年! 「とっかかり」さえちゃんとしてれば大丈夫

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(ついにコーディングデビューできたのはこの一冊のおかげ。今ではソースコードも読むようになったわけだから、ピコピコは肩コリひどくなるからヤダ!と自分並みに思ってる人にオススメ。密林でも自分と同じタイプの人から絶賛されてるのがおかしい(^∇^)。服部 雄樹さんの『HTML&CSSとWebデザインが 1冊できちんと身につく本』は技術評論社から税込2,462円で発売中)

「2017年のまとめ」的な話が出てくる時期になったけれども、自分の中で今年は「理工系元年」かなー。


前々からピコピコは使っていたけれど、ゲームからサービスから、いいものが既にたくさんあるので、「自分でも作ろう」とはなかなか思えなかった。


それが今では窓で命令線即座をカタカタやることもできるようになったのだから、そのことにまず自分がビックリする。


そうなった経緯は色々あるけれども、ハードに「ソレハナイ」的なイベントとエンカウントしたことで、「じゃ、むしろ自分でやった方が早くね?」と思い切ったのが一番の理由かなー。


思い返せば、ピコピコ系は好きで詳しくなったわけでなく、「だったら自分で直すからいい!」というパンクな姿勢がスタート地点なことがほとんど( ´ ▽ ` )ノ


一方で、山本貴光さんのご本から自然科学の学習もスタートしてたし、数学も経済学からアプローチした方が分かりやすいとか、そもそも自然科学は英語でやった方が遥かにわかりやすい、とかとかの追い風も。


あとは「お客さん体験」を改善しようと思うと、心理学だけじゃなくて工業製品とかに行かざるを得ない。だって本筋はそっちなんだもの。


座ったら壊れるイスを作ったら家具職人としては失格なので、丈夫で座り心地が良くて安全なイスを作るにはどうするか、コストはいくらか、法基準を満たすのは当然としてーー


で、そっち方面の学習を進めるうちに、あんま興味もてないなーと思ってた建築も悪くないと思えてきたり、数学や工学やピコピコ学の歯車が噛み合った形。絵を描く力も「図解」に活かせる分野だし。


その反動なのか、人文系の、特に文学系にすごい距離ができた1年だったかも。哲学シソーは今までになくフォローできたけど。


理数系と取り組んで初めてわかったんだけど、文学とかその「研究」に対して感じる「違和感」はこういうものなのかな、と追体験できた面も。


両方やってみた今となっては、「自分が得意じゃない方面に取り組むには、得意な人のやり方は使わない方がいい」とわかったような。


文系理系という分け方はオカシイ!という声もあって、たしかにその通りではあるけど、これ、アプローチの仕方が全く逆だぞ、というのが今の実感。


ニガテだった分野に取り組もう!と気合を入れても、「もともとその分野が得意な人向けの資料がほとんど」なので、その時点で入り口がメチャメチャ狭くなってしまう。


一例を挙げれば、数学の入門書や参考書は山ほどあるけど、「数学に使う記号の説明」をしてくれてるのは、10冊とないだろう。


ところが、「数学に使う記号の説明」がないと、苦手な人は先へ進めないんだな。別に計算ができないわけではなくて、「計算に使う記号に納得していない」という。


そんなことをシミジミと感じた1年だったので、ぜひ来年は、「語学にものすごい抵抗を感じる理由」を突き止めたいところ。自分があんま抵抗なく来てしまっただけに、ぜひ知りたい。


「計算に使う記号に納得してない」レベルで、意識もしてないようなところに理由があるんじゃないかなーと。


意識もしてないからこそ、それに気がつくのも大変なんだけど(^∇^)  でもちゃんと「自分向きのやり方」わかれば数学もすごく楽しい!と分かっただけに、なんとか手がかり掴みたいナー。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-15 17:56 | Comments(0)

ラスキン先生の「理想の建築」、スケッチはないんでしょうか

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(フランスの描き手には「絵力」に脱帽させられるけど、このフランソワ・シュイテンさんの『闇の国々』には参った。かけた時間と労力もすごいのだけど、かといつて「時間と労力をかけたら出来る」ものではないと思う。ズッシリしたオブジェのような造本も素晴らしい。小学館集英社プロダクションから出てたけど、残念なことにいまは在庫切れみたい。)

これまで興味なかった建築について多方面から攻めているけど、ラスキン先生のお話を聞いていて、「この人、『自分の理想の建物』を描いたりしなかったのかな」というのが頭をよぎる。

というのもラスキンさん、ゴシック建築をベタ褒めしながら、ラスキンさんと同時代、つまり19世紀の建築の風潮をこれでもかとやっつけている。

実際、19世紀は哲学の方面でもニーチェさんがハードコアなアプローチしてるし、キルケゴールさんはホントの信仰心はそんなものじゃないとパンクロッカーばりの戦い方。

実際、19世紀ヴィクトリア朝時代のキーワードはRespectableだったらしい。尊敬されうる、みたいな意味かなと思ったら、これ、「体裁だけ取り繕う」とか「お体裁屋」みたいなニュアンスが多分にあるんだって。

ラスキン先生は信仰心に篤いひとだから、そういう風潮はイヤでイヤで仕方なかったろうナー。

ラスキン先生の話は禅問答みたいでアレアレ?と思うこともあるけど、要は「体裁ばかり取り繕ってどうする、美しいものを作ろうと取り組む『心意気』を大事にしろ」と言ってるのだろう。

ニーチェさんも過激かつ極端なこと言ってるけど、それでも現代までちゃんと読者がいるわけだから、ラスキン先生の怒り方も、おんなじように心に訴える部分がある。たしかに、「仕事」ってなんだろね、みたいな。

それはそれとして、ラスキン先生は「理想の建築」をスケッチしてないのかな。建築は誰でも携われるもんじゃないから、こんな好きだったら紙の上で理想をまとめても良さそう。

実際、ラスキン先生のスケッチの力はズバ抜けてるので、画力的には図面を引くのも、図面からスケッチ起こすくらいはわけないだろう。実物を見て図面に起こせる人なんだから。

「自分だったらこう作る」というのは、これだけの教養と画力と知識ある人なんだから、考えてもおかしくなさそう。自分だけの夢の建築、みたいな。

それでつい、『闇の国々』を思い出したんだよね。メディア芸術祭でもその正確無比な描線を見て、「ダメだこりゃ、この手の絵では一生かないっこない」という愕然とした気分に。

シュイテンさんがあれだけカッチリ描ける人だからこそ、ペータースさんと組んで荒唐無稽な絵面を作れるのだろうし、緻密に描けるからこそ大ボラが生きる、みたいな。

その点、ラスキンさんはどうされてたんだろう。実力的にそんな理想の建築を描くことはお手の物だったろうけど、潔癖な人みたいだから、そんな無益なことをして何になる、と言われても、ま、そうだなと。

その辺りが良い感じでフックになって、建築にも興味が出てきたのでありがたいです。「キョーミないことの方が、むしろ発見ある」というのは案外こういうことかな。

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# by ulyssesjoycean | 2017-12-08 11:36 | Comments(0)

例によって大泣き! とよ田みのるさんの『最近の娘さん ペチャクチャ編』

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(『ゲッサン』で連載もスタートさせた、マンガ家のとよ田みのるさん。赤さんの可愛さに勢いでマンガ書いたら、糸井重里さんに伝わるレベルの大反響。その赤さんも娘さんにクラスアップして、現在4冊目。同人誌ですが、コミックZINで通販もやってます。本体は648円)

赤さんから娘さんにレベルアップしたとよ田家の愛娘さん。大きくなって言葉による意思疎通もできるようになったけれど、「社会性」獲得の時期なだけあってタイヘンさもレベルアップ。

なんだっけ、前に熱心に読んでたロシアの天才言語学者で児童心理学者のヴィゴツキーさん、幼児と言葉の関係という話が思い出されるな。

なんでも、幼児さんの前にサーシャ(別な幼児さん)が座っている時、「サーシャがすわっています」と言うのは問題ないそう。

ところが、そのサーシャが立ってどっか行ってしまった後、「サーシャはすわっています」と言うのは幼児さんにとってタイヘン困難なことらしい。

サーシャが目の前にいないのに、言葉だけで「サーシャは座っています」とは言えないそう。言葉と現実は幼児さんにとって分割不可能とか、そんなこと書いてあった気がする。

それで思ったんだけど、愛好する非電源ゲーム(アナログゲーム)は、心理戦の場合「言葉だけのルール」があるからタイヘンかもしれない。

心理戦ってことは、「自分には見えてるけど、それを相手には言わない」「自分の持ってるカードを『別のカードだ』と言って渡さなくてはいけない」などなど、さっきの話からすると幼児さんにはタイヘンだなーと。

とよ田みのるさんの娘さんマンガにこんなややこしい話題は出てこないけど(^∇^)、とよ田さん一家が七転八倒しながら「社会性」の時期を体験されてるのを見て、そんなことを思った次第。

で、例によって、同人誌の巻末についてくるオマケマンガを読んで号泣。それこそとよ田さんのマンガには「うおーいおいおい」という泣き声描写あるけど、まさにそんな感じ( ´ ▽ ` )ノ

送料や手数料はかかってしまうけど、コミティア(首都圏)に足を運ぶ手間ヒマ(リアルマネーとも言う^_^)を考えたら安いものなので、コミックZINさんの通販は有難い。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-06 12:13 | Comments(0)

ダーウィンじゃないよラスキンだよ ヒゲもじゃ革新おじさん

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(進化論のダーウィンと美学のラスキンは「ヒゲもじゃのおじさん」として、脳みそ的には同じフォルダに入っていた(^∇^)。そういやメタリカの所属レーベル・エレクトラの重役もこんな感じのお爺さんだった気がする。ラスキンの画像出典はこちらのサイト:

https://artuk.org/discover/artworks/john-ruskin-18191900-143392#)


19世紀の作品どれも重たくって性に合わない、という感じで来たけれど、哲学思想は19世紀にドドっと出てるので、その流れで別なジャンルにも目を通すことに。


自分がいまだに親しめない2大潮流があって、それが「シュールレアリスム」と「ラファエル前派」。


前者はアンドレ・ブルトンとかダダとか、後者はエヴァレット・ミレイとかそのあたり。ファンも多いと知ってるのだけど、なぜか馴染めないままここまで来てしまった。


で、ラファエル前派と似たような系統としてパッと名前が浮かぶのがウォルター・ペイター。理由は分からないけど、ペイターとセットにしてしまったのがジョン・ラスキン。


そういう先入観あって、プルーストさんのインスピレーション源がラスキンというのは知ってたけど、なかなか手が伸びなかった。


ところが最近になってプルーストさんの批評を読んでみたら、いつもは慇懃かつ辛辣なプルーストさんがラスキンさんをベタ褒め。これはただごとでない。


で、プルーストさんの一文から、ラスキンさんは絵も描いてると知ったのでドレドレとチェックすると、これが尋常でなくうまい。


ペイターと同じく「美文家」と思ってただけに、この人はむしろ「絵描き」じゃないか!と。そういや長らく作品に入って行けなかった吉増剛造さんも、「字がスゴイ」、つまり「書道」的な方面が入り口だったな。


そういやくだんのペイターさん、英語が難しくてすっ飛ばしてたけど、Stuart Gilbertの『James Joyce’s Ulysses』を読んでたら「『ルネサンス』はわれらのバイブル」みたいに書いてあったな。


それこそ高山御大がホッケホッケと経をあげるように、ある年代の記念碑的な書物があるけど、ギルバートさんとか若き日のジョイスにとって、ペイターはそうした存在だった由。


以前から、自分が一番愛着あるのは18世紀と20世紀初頭の作品デアル、と言ってきたけど、20世紀初頭の書き手が影響受けたのが、なんかこっちが苦手なペイターとかラスキンとか。


それでプルーストさんもラスキンラスキンとお掃除マットを交換しかねない勢いで入れ込んでるんだから、さすがに素通りはマズイだろうと。その画力という意味でもキョーミも湧いてきたし。


これまでの哲学シソーと合わせてつらつら考えるに、19世紀ヨーロッパの人たちは色々煩悶してたんだなーという印象を受ける。


産業と資本主義がドーンと華開くけど、あまりの急激な変化に人間はついていけず、社会システムもその歪みが浮き彫りになるし、なまじ文明化しちゃった分だけ信仰にも行きづらいーー


20世紀初頭の作品が面白いのは、そういうのを「ふりきった」からなんだろう。その前はというと、ニーチェさんがハードコアパンクやってる一方で、マルクスさんが資本主義打倒を叫んでるし。


そんな中で、ラスキンさんはキリスト教信仰をもう一度取り戻そう、それを芸術の中に再発見しよう、そういう動きを突き詰めた人みたい。


ニーチェさんやマルクスさんは強烈なやり方をしたけど、中心は「精神主義」だったのかなーと思う。ヘンリー・ジェイムズのお兄さんも正面からそれを論じてたし。


そういうのを19世紀かけてやった挙句、やっと振り切れた世代が20世紀初頭にヘンテコかつエネルギッシュな作品をドシドシ世に送っていたのだなーと。そんな印象。


ここまで書いてきて思ったけど、ペイター、ラスキン、ラファエル前派に何か親しめないのは、どれも「きれいすぎる」からかな?


T・S・エリオットとかも、わけわかんないものとか、整理できないもの、つまらないものを詩の素材に使ってるし、18世紀の方は素朴かつくだらないコメディ小説も多いから。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-03 12:00 | Comments(0)