マンガとアニメーションと人文を、脱線(Digression)でつなぐブログ。
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よいか、ここだぞ(Samurai 7 十巻)

原作である黒澤明「七人の侍」のプロットを使い切って後半に突入した「Samurai 7」は、危惧していた通り、話が恐ろしく弱くなってしまった。
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ケチをつけるのは趣味ではないのだが、一言だけ言えば「話の弱さ」原因は、主人公たち七人のサムライに対する、敵役があまりにも(キャラクター造形的にも)弱すぎる。まるで主人公たちとその魅力が拮抗しないので、自然、敵側の演出が強引になってしまい、天主(あまぬし)とウキョウの「コトトイの儀」(事問い、言問い、か)なぞそれはあんまりだ、という演出で、もはやストーリーを弥縫(びほう)するのは無理なのか。

そういえば今回、「胴太貫(どうたぬき)」という、刀より短く脇差より長い刀剣がちらりと登場したが、これは「子連れ狼」で、拝一刀(おがみいっとう)が使用する武具ですな。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-28 15:27 | 駄文 | Comments(0)

インテリかな(アンリ・カルティエ・ブレッソン)

畢竟、レイアウトが全てではないのか、ということに思い至らせてくれたのは「ガンバの冒険」で素晴らしいレイアウト・画面構成の仕事をした芝山努氏(と背景美術の小林七郎氏)のおかげだが、
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レイアウトのレの字も知らなかった時、しかし印象に残った写真家がいて、それがMagnumphotosアンリ・カルティエ・ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)だったということになる。
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© Dennis Stock / Magnum Photos

写真に興味があって、マグナムといえばロバート・キャパだろうが、こっちは写真のことなぞ何も知らず、ではどうしてブレッソンを知っているのかといえば、NHKで本人が出演した特集番組をたまたま目にしたに過ぎないのだが、「西洋ではmoi, moi(わたし、わたし)ばかりでいやになりますよ」と言ったこのこじゃれたお爺さんが印象に残って、それで氏の著作を片端からとりよせて、とはならなくて、実際に写真集を手にしたのは随分あとの話だった。

それでもやはり記憶には残って、それとは関係のないところから始めたレイアウトの勉強をしていると、ところどころでアンリ・カルティエ・ブレッソンの名を目にすることになったのだから、こっちの見識というのもあながち大はずれではなかったようである。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-27 17:19 | 駄文 | Comments(0)

シェリルー!!(新・吼えろペン 第二巻)

「新」になってからというもの(いい意味で)「どうかしてる」度がマックスに入った「新・吼えろペン」第二巻の白眉はやはり「ラブ・ウィズ・ミー」こと「自分の作ったキャラクターがいるいない」の回で、マックスに入っている「どうかしてる」度がもはやメーター振り切った感じであって心底笑ったが、こういう作品のファンはこっちだけなのかと思っていたが、今月号の「サンデーGX」に読みきりを書いた「鋼の錬金術師」の作者荒川弘(あらかわひろみ)氏も、巻末の後書きに逆境ナインへのオマージュを捧げた(としか思えない)マンガを描いているから、ファンはこっちだけでもなかったよう。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-26 15:53 | 駄文 | Comments(0)

この世に偶然などありません(岩窟王)

「岩窟王」第六巻、なるほどユージェニーはこう来たかという内容で、このヒロインであるユージェニーは原作には登場しない(はずの)キャラクターゆえ、少々深読みをしていたら、深読みのしすぎだったようで、きっちり王道の内容に仕上がっていて事の成り行きにホッとするが、監督の前田真宏(まえだまひろ)氏は、BSアニメ夜話「ふしぎの海のナディア」(シロクマ注1)の回では、

(演出もされてますよね、というのに答えて)
それがねぇ、厳しかったんですよ。島編は好きだし、やってるうちは楽しかったんですけど、島編が終わってまたシリアスに戻るってときに、テンションをガクーっと変えてやれと、それもナディナが自殺する回とか、エレクトラさんとの確執があらわになるココをやれとか。(前田)
主にダークな回担当。(岡田)
なんででしょうねぇ。見込まれてですかね(笑)。「お前ダークをやれ」(笑)。(前田)

とみずから語っているだけに、油断してはいけない(何がいけないのか)。
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左がユージェニー、右が主人公アルベール

そういえば、オペラ座でユージェニーがピアノで弾いているのは「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番」ですな。ロマンチシズム溢れる曲でこのシーンにぴったりであったけれども「のだめカンタービレ」(シロクマ注2)といい、やはりクラシックで使いたい曲といえば、コレなのだろうなぁ、といって実はこっちも学生芝居で使おうかと思った時は「尺が長い!」という理由で大カット。まあそりゃそうだわな。そうだわさ。
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注1:ふしぎの海のナディア。「トップをねらえ!」で初めてメガホンをとった(といってもアニメーションだからとらないが)庵野秀明のテレビシリーズ監督第二作、その後の庵野作品とのバランス加減で言えば、非常に「ちょうどいい」内容で、シリアスもありながら、随所に挟み込まれるパロディなどの笑いも充実していて、藤津亮太氏のことばを借りれば「フルオープン」。また最終回をきっちり「たたんだ」稀有の作品でもあり、最終回のラストシーンからエンディングに移る手並みはゾクっとくるほど素晴らしい。

注2:のだめカンタービレ。マンガで音楽をやる作品は色々あっても諸手を上げて最高!というものはなかなかなくて、そんな中では最大限まで健闘している作品。扱う音楽が巷間に溢れるロックではなくクラシックというのも大きいようで、ラフマニノフのコンチェルトの場面ではファンとして快哉を叫んだが、その後主人公たちがフランスへ留学してからというものまるで話が動かなくなったのは、フランスへの幻想が強すぎるというより、やはり明治このかた日本にとって海外は「夢の国か、悪魔の国」という両極のイメージしかないようで、ものの見事に、主人公のだめがフランスへ到着した当初は「夢の国」そのものであったのが、すこしたってオーボエ奏者黒木くんがフランスへ来るあたりになると「悪魔の国」のイメージになるというのは、いくらなんでもそれはないよ、というので大いに鼻白んだ次第であるが、何もこの手の勘違いというより、アチラへ行ったところでアチラの生活を何百年としている人間がいてそれはコチラも同じだからアチラもコチラもないということがあまり通じないのは、これも日本の特殊事情というものだろうか。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-25 20:07 | 駄文 | Comments(0)

ヒダルイ(百鬼夜行抄 13巻)

とうとう発売になった「百鬼夜行抄」(シロクマ注1)の最新刊は、いつもながら面白いが、12巻はやや作りこみすぎの感があったのが、今回「作者あとがき」にもあるように、諸所の事情から前後編になったことから、錯綜した話が読み解きやすくなったと言えて、だから書中もっとも強く印象に残ったのは、その二話に分かれた「餓鬼田の守り神」であるということになる。
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注:百鬼夜行抄(ひゃっきやこうしょう)。今市子(いまいちこ)作のどこかおかしい怪奇譚。以前BSマンガ夜話で同作がとりあげられた回など、「陰陽師」の夢枕獏氏をして「駄作がひとつもない」と言わしめただけあって、出演者一同絶賛という非常に珍しい放送内容になったことを記憶している。絶賛しているのは何も出演者だけの話ではなくて、こっちも当然絶賛。「百鬼夜行抄」の第一巻を読ませてもらったら、巻末の「真昼の月」を読みぶっ飛ばされて、それ以来ファンになっている。この手の先達である諸星大二郎氏と同じく、作品の中に人を傷つけるようなものがないのは、作者の並々ならぬ生活者としての知性を感じさせる。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-24 15:07 | 駄文 | Comments(0)

gens de Dublios(ダブリナーズ)

「Le Monde」を見ていると、「Dubliners」(仏題:gens de Dublinois)が映画化されるそうですな。こっちはフランス映画など何も知らぬが、監督がこんなことを言っている。
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"C'est l'écrivain qui a été le plus déterminant dans ma vie. Ulysse a ouvert les fenêtres, et la lumière est entrée. C'est le premier livre de lui que j'ai lu. Ma mère m'en avait apporté un exemplaire de la Shakespeare Press de Paris. J'avais vingt et un ans, je venais de me marier... et c'est ma femme qui m'a lu Ulysse à haute voix. L'impact a été énorme. J'ai voulu tout lire de Joyce. Avant et après Ulysse. De Dublinois à Finnegans, dont je ne comprends pas tout, mais ce n'est pas nécessaire de tout comprendre. Le style de Dublinois est d'une clarté absolue. Limpide. Les nouvelles de Joyce sont à l'Irlande ce que celles de Tchekhov sont à la Russie. Ça m'étonnerait que Joyce n'ait pas été influencé par Tchekhov. Je crois bien qu'il le dit lui-même quelque part."

(上記のシロクマ訳)
僕の人生に屹立する最大な作家だよ。「ユリシーズ」が窓を開いてくれたおかげで、光が差し込んだわけ。一番最初に読んだ彼の著作でね。パリの書肆シェイクスピアから一冊ほらって母が僕に持ってきた。21歳だったな、結婚する頃で… それで妻が大きな声で「ユリシーズ」を読んでくれたんだ。その衝撃っていったらなかったね。ジョイスの全著作を読んだよ。「ユリシーズ」以前、以後を。「ダブリナーズ」から「フィネガンズ・ウェイク」まで、っていってもこっちはまるで分からないけどさ、全部分かる必要なんてないんだ。ダブリナーズの文体は完璧なまでに透徹してる。明晰だよ。ジョイスの小説にとってのアイルランドはチェーホフにとってのロシアみたいなもので。驚いたんだけどジョイスはチェーホフに影響は受けてないんだってね。ジョイス自身どっかでそう語ってたのを、僕は信じるけど。

ジョイスについて、こっちの思うところと非常に共通点が多いのでビックリ。
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ちなみに「Dubliners」は「ダブリナーズ」であって「ダブリンの人々」じゃないんだと、ジョイスは手紙で言ってますな。ニューヨーカーとかパリジャンとか、そういう名称の仲間なんだと。ちなみにイタリア語だと「gente di Dublino」となってたから、どれもジョイスとしては正しくない(笑)。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-23 17:05 | 駄文 | Comments(1)

パースの取り方あれやこれ

「Design Basics」を読み、ようやくこっちの求めている内容が「遠近法(perspective)」であるということが分かったので調べてみたが、参考になりそうな本が10冊もないのはどうなのか。予想する限りでは一番使えそうなのが「光と闇 小倉宏昌画集」押井守(またかよ)のインタビューつきだし、もうこっちが知りたいレイアウトというと押井さんが出てくるのが悲しい。本当は「ガンバの冒険」でレイアウトをやった芝山努氏の話が聞きたいのだが、そう都合のいいものはないそうで。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-23 16:49 | 駄文 | Comments(0)

意図的なキャラ造形なんだろうか(夏目房之介氏)

ただ世代的にはキャラクターの目が顔全体の立体とズレてるアニメ絵の傾向がどうしても最後まで気になった。原作にはその印象はないけど、これは意図的なキャラ造形なんだろうか。TVでもさほど感じないんだけどね。デッサンが狂って見えるので、どうも違和感が強いね。(夏目房之介の「で」 7月23日)

夏目氏のブログには画像がないので、何処がどう違うのか比べようがない、のは悔しいからこっちで勝手に比べてみることにする。
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これが映画
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これがテレビ
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そしてこれが原作のマンガ

主人公の顔を並べてみても、よく分からない。ここに引用したぐらいでは分からないかも。そもそもアニメーションでは、キャラクターデザインの人と、原画を統括する作画監督(シロクマ注1 →注さ行)がいるわけで、更に映画ともなれば作画監督が複数いることも考えられて、そしてテレビアニメーションを見ていると、作画監督によってそれこそ絵柄はかなり違うので(違う人間が書いているのだから当たり前)、そう迂闊なことは言えない。そしてなにより、こっちは絵を描かぬ人間であって、デッサンが狂っていると言われても、それを絵描きとしての感覚を知らぬし、またその理屈も知らないので、なんともいいようがない、それが悔しいわ(東方不敗)。だからこそ最近美術の勉強をしているわけなのだが。

注:作画監督(さくがかんとく)。アニメーション制作において、(基本的には)動作の始まりと終わりの絵を原画といい(最近では第二原画というのもあるようであるが、詳しくは不明)、その間に中割り(なかわり)をいれるのが動画、そして上がった動画をチェックする動画チェック、そうした全ての絵を統括する存在として、作画監督がいる。またこの作画監督によって、テレビアニメーションならその回の絵柄が決定される、というよりその人の持ち味である絵柄になる。作画をする人間による絵柄のばらつきは、岡田斗司夫「オタク学入門」に、アニメーション監督北久保弘之氏による、「うる星やつら」の主役ラムの書き分けが非常に参考になる。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-23 10:18 | 駄文 | Comments(0)

OKテイクが出ない(浦沢直樹 マンガのゲンバ)

NHKーBS「マンガのゲンバ」、賛否両論を巻き起こしそうな内容ですが、ひとつ収穫をあげるとすれば、マンガ家浦沢直樹氏の直談が放送されたということでしょうか。こういう新番組・新企画は、ケチをつけようと思えばいくらでも出て来るので、そういうことをするより少しでも参考になった点を評価しましょうよ、という方向に傾いてきたな。

その浦沢氏であるが、「マンガ夜話 マスターキートン」の回でも散々話に出た如く、この人はやはり、プロデューサー志向が顕著であって、また本人もそれを自覚しているというのがよく分かる内容。でなきゃ「プロデューサーとしての自分」などということばは出てこない。「Pluto」について「OKテイクが出ない」とコメントするあたり、やはりそういう資質の人なのだな、と感じ入った次第。
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それと少女マンガの海外出版がコンテンツとしてあって、どういう基準で作品の選定が行われるかという話も結構であるが、肝心の(言語部分の)翻訳作業について、一言も言及がないというのは、不満が残る。

こっちは英・仏・伊語(その他ペルシャ・アラビア)も解するが(イタリア・ペルシャ・アラビアはテキトーだとして)、常々「外国語が出来る」というのに、ひとつ大きな誤解があるのは、外国語ができる人間というのは「アチラの言葉をコチラに訳す」のと「コチラの言葉をアチラに訳す」のが「同レベルで出来る」というので、やっていれば良く分かるが、そんな人間はまずいない。これは経験論だけでなくて、バイリンガルのことを調べると、必ずどちらかの言語が大なり小なり優勢であって、訳すとした場合かならずどちらかに能力が偏る夏目房之介氏の著作など読むと、確かに日本は外国(西欧)の輸入超過であって、こちらから発信する能力を育ててこなかった、という論旨はうなづけても、コミュニケーションで意思疎通する場と、それを翻訳したりする場が一緒くたになっている印象を受けて、きっちり「読む」ということのシンドさ(と楽しさ)を知っている身からすると、「おいおいそんなに簡単に言ってくれるなよ」とも言いたくなる。またいくら話せるからといって、それで理詰めのものが読めるということになるわけではない(ブンガク云々でなく広い意味での話)。だからといっておおらかなコミュニケーションを否定しているのでなくて、「それはそれ、これはこれ」ですよということだけは言っておきたい。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-23 00:45 | 駄文 | Comments(0)

理想というのは大部分が誇張に過ぎないのである(吉田健一 甘酸っぱい話)

「吉田健一集成 別巻」(新潮社)の一冊は、これだけ吉田健一(→注や行)を耽読していながら未読であったことを思い出し、早速読んでみたがこの人の抑えに抑え最後に開放するリリシズムは何ら変わることがなくて、たとえ未読のものであったとしても読めば安心する。

時間というのは、もともとむずかしい問題ですけど、ひとことで言えば、時間がたっていくのはいいことなんです。そうでしょう、それでいずれ死ねるのだから。死ななかったら喜劇だよ。いいということが頭にないと、一日は二十五時間にならないかなんておもうようになる。何かにとり憑かれること、これは戒めなきゃならない。(インタビュー 「時間について」)

七十歳だか八十歳になれば、死がやってくる。死ってのはいいものですよ、あとは何もないんだから。反対の考え方はキリスト教でしょうね。ヨーロッパの人々は今でも、死んでから、なんてことをかんがえているのかしら、かわいそうに。

 『時間』を書き上げてみると、持っているものを全部出した感じだな。あとは下り坂。下り坂ってのはいいものだよ。物理的にいったって楽なもんさ。書く必要があれば。下る惰性で書けばいい。惰性といっても、自然に書けるということだから、まだまだ書けるわけで……、そうか、今後に期待できるわけだ、よかった。
 しかし、いつかは下り坂も行き止まりになるでしょう。願わくば、それまでに何も書かなくていい身分になっていたいものだ。六十過ぎて、ほかに何の商売があるんだい。……まあ、その時のことはその時のことさ。今迄だって何度もそんなふうにしてきたんだから。(インタビュー 「時間は流れている」)

インタビューであっても、これぞまさしく吉田健一であって、文章と何も変わらない。そこで思い出すのはやはり氏の「甘酸っぱい話」におさめられている「理想」という小文になってその締めくくりだけ引用する。

併し我々が望んでも、とても適へられないことと思つて、自分に対しても黙つてゐたことが、年月がたつとともに次第に自分の方に近づいてくるといふことはある。知らずに努力したのか、天から与へられたのか遥か向うにあつたものが、いつの間にか自分とともにあることに気が付く。これが、理想である。

実はここにいたるまで、かなりアホなこともいっているのだが、そうなると原稿用紙3、4枚の構成上全文を引用することになり、そんなことをするくらいなら手っ取り早く本を読んだ方がよくて、だからそうした方がいいとすすめて終わる。
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# by ulyssesjoycean | 2005-07-22 15:34 | 駄文 | Comments(0)