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例によって大泣き! とよ田みのるさんの『最近の娘さん ペチャクチャ編』

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(『ゲッサン』で連載もスタートさせた、マンガ家のとよ田みのるさん。赤さんの可愛さに勢いでマンガ書いたら、糸井重里さんに伝わるレベルの大反響。その赤さんも娘さんにクラスアップして、現在4冊目。同人誌ですが、コミックZINで通販もやってます。本体は648円)

赤さんから娘さんにレベルアップしたとよ田家の愛娘さん。大きくなって言葉による意思疎通もできるようになったけれど、「社会性」獲得の時期なだけあってタイヘンさもレベルアップ。

なんだっけ、前に熱心に読んでたロシアの天才言語学者で児童心理学者のヴィゴツキーさん、幼児と言葉の関係という話が思い出されるな。

なんでも、幼児さんの前にサーシャ(別な幼児さん)が座っている時、「サーシャがすわっています」と言うのは問題ないそう。

ところが、そのサーシャが立ってどっか行ってしまった後、「サーシャはすわっています」と言うのは幼児さんにとってタイヘン困難なことらしい。

サーシャが目の前にいないのに、言葉だけで「サーシャは座っています」とは言えないそう。言葉と現実は幼児さんにとって分割不可能とか、そんなこと書いてあった気がする。

それで思ったんだけど、愛好する非電源ゲーム(アナログゲーム)は、心理戦の場合「言葉だけのルール」があるからタイヘンかもしれない。

心理戦ってことは、「自分には見えてるけど、それを相手には言わない」「自分の持ってるカードを『別のカードだ』と言って渡さなくてはいけない」などなど、さっきの話からすると幼児さんにはタイヘンだなーと。

とよ田みのるさんの娘さんマンガにこんなややこしい話題は出てこないけど(^∇^)、とよ田さん一家が七転八倒しながら「社会性」の時期を体験されてるのを見て、そんなことを思った次第。

で、例によって、同人誌の巻末についてくるオマケマンガを読んで号泣。それこそとよ田さんのマンガには「うおーいおいおい」という泣き声描写あるけど、まさにそんな感じ( ´ ▽ ` )ノ

送料や手数料はかかってしまうけど、コミティア(首都圏)に足を運ぶ手間ヒマ(リアルマネーとも言う^_^)を考えたら安いものなので、コミックZINさんの通販は有難い。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-06 12:13 | Comments(0)

ダーウィンじゃないよラスキンだよ ヒゲもじゃ革新おじさん

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(進化論のダーウィンと美学のラスキンは「ヒゲもじゃのおじさん」として、脳みそ的には同じフォルダに入っていた(^∇^)。そういやメタリカの所属レーベル・エレクトラの重役もこんな感じのお爺さんだった気がする。ラスキンの画像出典はこちらのサイト:

https://artuk.org/discover/artworks/john-ruskin-18191900-143392#)


19世紀の作品どれも重たくって性に合わない、という感じで来たけれど、哲学思想は19世紀にドドっと出てるので、その流れで別なジャンルにも目を通すことに。


自分がいまだに親しめない2大潮流があって、それが「シュールレアリスム」と「ラファエル前派」。


前者はアンドレ・ブルトンとかダダとか、後者はエヴァレット・ミレイとかそのあたり。ファンも多いと知ってるのだけど、なぜか馴染めないままここまで来てしまった。


で、ラファエル前派と似たような系統としてパッと名前が浮かぶのがウォルター・ペイター。理由は分からないけど、ペイターとセットにしてしまったのがジョン・ラスキン。


そういう先入観あって、プルーストさんのインスピレーション源がラスキンというのは知ってたけど、なかなか手が伸びなかった。


ところが最近になってプルーストさんの批評を読んでみたら、いつもは慇懃かつ辛辣なプルーストさんがラスキンさんをベタ褒め。これはただごとでない。


で、プルーストさんの一文から、ラスキンさんは絵も描いてると知ったのでドレドレとチェックすると、これが尋常でなくうまい。


ペイターと同じく「美文家」と思ってただけに、この人はむしろ「絵描き」じゃないか!と。そういや長らく作品に入って行けなかった吉増剛造さんも、「字がスゴイ」、つまり「書道」的な方面が入り口だったな。


そういやくだんのペイターさん、英語が難しくてすっ飛ばしてたけど、Stuart Gilbertの『James Joyce’s Ulysses』を読んでたら「『ルネサンス』はわれらのバイブル」みたいに書いてあったな。


それこそ高山御大がホッケホッケと経をあげるように、ある年代の記念碑的な書物があるけど、ギルバートさんとか若き日のジョイスにとって、ペイターはそうした存在だった由。


以前から、自分が一番愛着あるのは18世紀と20世紀初頭の作品デアル、と言ってきたけど、20世紀初頭の書き手が影響受けたのが、なんかこっちが苦手なペイターとかラスキンとか。


それでプルーストさんもラスキンラスキンとお掃除マットを交換しかねない勢いで入れ込んでるんだから、さすがに素通りはマズイだろうと。その画力という意味でもキョーミも湧いてきたし。


これまでの哲学シソーと合わせてつらつら考えるに、19世紀ヨーロッパの人たちは色々煩悶してたんだなーという印象を受ける。


産業と資本主義がドーンと華開くけど、あまりの急激な変化に人間はついていけず、社会システムもその歪みが浮き彫りになるし、なまじ文明化しちゃった分だけ信仰にも行きづらいーー


20世紀初頭の作品が面白いのは、そういうのを「ふりきった」からなんだろう。その前はというと、ニーチェさんがハードコアパンクやってる一方で、マルクスさんが資本主義打倒を叫んでるし。


そんな中で、ラスキンさんはキリスト教信仰をもう一度取り戻そう、それを芸術の中に再発見しよう、そういう動きを突き詰めた人みたい。


ニーチェさんやマルクスさんは強烈なやり方をしたけど、中心は「精神主義」だったのかなーと思う。ヘンリー・ジェイムズのお兄さんも正面からそれを論じてたし。


そういうのを19世紀かけてやった挙句、やっと振り切れた世代が20世紀初頭にヘンテコかつエネルギッシュな作品をドシドシ世に送っていたのだなーと。そんな印象。


ここまで書いてきて思ったけど、ペイター、ラスキン、ラファエル前派に何か親しめないのは、どれも「きれいすぎる」からかな?


T・S・エリオットとかも、わけわかんないものとか、整理できないもの、つまらないものを詩の素材に使ってるし、18世紀の方は素朴かつくだらないコメディ小説も多いから。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-03 12:00 | Comments(0)

フロイトの直弟子? ハインツ・コフートさんの「自己愛」研究

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(フロイトの直弟子っぽい、心理学者のハインツ・コフートさん。自分の脳Googleに何もヒットしないのはなんでかな、と思ったら、なんとも独特の表現をしてる中身だった。もともとはウィーンの生まれだから、母語はドイツ語なんだろうなー)



ここ最近のテーマが「承認ナントカ」。言葉自体は前々から知っていたけど、なんかフツーに使われるようになっていてビックリ。


ビックリすると同時に、何か「座りの悪い」心持ちがあるのも事実。そんな当たり前に使う言葉なのかな、それ、という。


でも一方で承認ナントカは誰しも持ってるものだから、それ自体は別におかしくない。ある意味このヘンテコなブログがその証拠でもある(^∇^)


それなのになんで妙な違和感を感じるのかな、というので調べ始めたけど、メチャ少ない真っ当な文献の中から「コレだ!」と目をつけたのがコフートさん。


ウィーン生まれの心理学者、ハインツ・コフートさんは、1940年にアメリカに渡ってシカゴで精神科医をやってたそう。


フロイトさんのエピソードも多いし、またその批判も芯が通ってるので、ある意味フロイトの弟子筋なんだろうな。


ところがコフートさん、肝心の文章がわかりにくい。「自己-対象」とか、用語も独特だし。この辺、ウィーンからアメリカに移ったことと関係あるのかどうか。


で、何とか調べ切って見えてきたのは、承認ナントカというストレートな表現は全くしてないんだけど( ;´Д`)、承認ナントカは「その人の内部」にあるものみたい。


で、その内部での置き場所が定まってるとーー面倒だからもう「家の間取り」に例えちゃうけど、その間取りがちゃんとしてるとその家は住み心地いい、そんなことをコフートさんは言ってる(と思う)。


で、自分が承認ナントカ関連で「おかしいなーおかしいなー」と稲川淳二ばりに不思議がってた理由も、この辺かな、と。


さっきの家の喩えで言うと、「住み心地」に直結するのは「家の中の間取り」なのに、承知ナントカで取り上げられるのは、「家の外での振る舞い」だからかな。


「住み心地」の話をするはずが、駅まで徒歩10分とか、電車通勤じゃなくて車通勤にした、通勤に使う車をスポーツカーにしてみたとかとか、「家の外の話」じゃなくない?と。


もちろん、コフートさんも「完璧な住み心地の家はない」ということを言ってたりする。だって住んでしまったら、色んなところが目につくだろうと。


無理くり家の話に例えたけど、そーでもしないとコフート先生の込み入った話を整理できないのだから仕方ない。


別に家の外での行動を快適にするのは異論ないんだけど、家の外での行動が「住み心地」に何一つリンクしてないとなると、これはウンウン唸ることに。


ようやく「おかしいなーおかしいなー」のヒントめいたものが見えてきたけど、肝心かなめの「家の間取りと住み心地」はどうリフォームすればいいんだろ。


コフートさんの話によると、家の住み心地が良くなると、じゃなかった、対話が終了に近づくと相手方からジョーダンが出てくるのだそう。


*ユーモアという言葉が使われてたけど、なんか「駅前ユーモア教室」みたいで手垢のついた表現になっちゃっててあんま使いたくないなー


でも、キッツイ冗談や皮肉とかでなく、プッと吹き出すような雰囲気だから、ユーモアくらいの温度がちょうどいいのでしょう。


それまではコフート先生も苦心惨憺で、リフォームを請け負ったはいいけど建設業者が来ないとか、設計図と違う!と施主には怒られるなど、ひどいエピソードばかり。


でもそういう大変なのが落ち着いて工期も満了というくらいに、角が取れた施主からジョーダンが出てくるのだとか。


なんだか途中から建築業の話みたいになってしまったけど(^∇^)、実態としてはまさにそういうことなんだろう。


やっと取っ掛かりにまでは漕ぎ着けたので、このリフォーム案件については引き続きリサーチしたいと思います。


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# by ulyssesjoycean | 2017-12-01 12:00 | Comments(0)

プルーストでいう『サント・ブーヴに反論する』、山本貴光『文学問題(F+f)+』

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(漱石本人も「失敗作」と公言していた『文学論』。それを山本貴光さんが要約・現代語訳・解説・文献案内エトセトラ、あらゆる手を尽くして「文学論をアップデート」するという試みを著した『文学問題(F+f)+』。凝りに凝った造本とブックデザインに関係者一同の気合が伝わってくる。幻戯書房から税込3,888円にて発売中)


漱石先生の小説読者はとにかく多いけど、そのファンからも「あれはだめ」と拒否反応しめされるのが『文学論』。イギリスで具合悪くなって帰ってきて講義した内容をまとめたアレ。


『文学評論』を愛読してる人はいるけれど、一文字違いの『文学論』はそうした読者がとにかく少ない。何しろ漱石自身が「失敗作」と公言してしまってる。自分で言っちゃうんだ、それ。


でも本当に「失敗作」なのか、そして事実「失敗」しているとすれば、その「失敗」の原因は何なのか、その失敗を「改善」するにはどうしたらいいだろうーー


それをあらゆる手を尽くして照射したのが山本貴光さんの『文学問題(F+f)+』みたい。


自分の場合、「アンチ漱石な書き手」とまぜか相性良いらしく、吉増剛造さんから吉田健一さんまで、その温度は様々だけど、みんながみんな漱石ウェルカムじゃないんだなーと。


自分もある種の「とっつきにくさ」を感じていたんだけど、2017年に入り、哲学者の西田幾多郎と同時代人だということに驚く。


漱石が1867年生まれ、西田が1870年生まれ。正味3年しか誤差がない。漱石は文学の世界でビートルズ的な役割を果たし、西田は日本哲学に巨大な足跡を残した。


分野は違うけど、このふたりがすごいのは、「そんなジャンルがないところからスタートした」という事実。西田さんは哲学の日本語定訳がない中で、用語それ自体がないところからあれだけのことをやった。


漱石もそうした人で、文学とは何か的なことをだーれも明示的に考えていないときに、それと真正面から切り結んだのだから、仮に『文学論』がムムムだとしても、それをせめることはできない。だってジャンルそのものがないんだもの。


で、山本貴光さんは『文学論』が大変気になる一冊だったそう。とはいえ、用語もジャンルもハッキリしない時代の書物に、今現在の知識だけで向かっていくのは無理がある。


その対策として、現代語訳から文献案内まで、ありとあらゆる手段で『文学論』に迫ったということなんじゃないだろうか。


そうした全体の雰囲気に接してて真っ先に思ったのは、「これはプルーストの『サント・ブーヴに反論する』だ!」ということ。


プルーストさんは、最終的に『失われた時を求めて』という長編(日本語訳だとハードカバーで全13冊)を書くけれども、それ以前に「これだ!」というまとまったフィクションは書いてない。


その分、ラスキンの翻訳やったり文体模倣やったり、そこで掴んだ批評眼はスゴイ!  プルーストさんは偉かったんだと、いま初めて納得してる按配。


そうした批評の中で大きな存在が『サント・ブーヴに反論する』。作品自体は未完だし、校訂なんかにも色々モンダイあるみたいだけど、プルーストさんのコアになってる様子。


というのも、サント・ブーヴさんは『月曜閑談』として文芸批評を週一ペースで延々と連載し続け、いわゆる職業批評家のハシリみたいな存在。


自分は未見だけど、『ポール・ロワイヤル』はフランス語を学ぶための金字塔と言われてた時代もあるらしく、その辺、篠田一士さんが麗々しく書いてらしたけど、名文の典型なんだって。


実際、プルーストさんもその名文を愛誦してたみたいだけど、サント・ブーヴご本人の批評スタイルには全くガマンならない。


サント・ブーヴさんは「その作家はどういう人物で、どこで何をどうした」ということを殆ど全ての評価基準にしてると。だから品行方正なら人ならその作品も品行方正、だから褒めますよ、と。そんな感じ。


それで言うと、品行方正の真逆みたいなボードレールさんは、いかにズバ抜けた作品を手がけていても、サント的には認めらんねーな、なんて。これがプルーストさんにはガマンならない。


プルーストさんはいつもバカ丁寧だけど、そうやって慇懃に書かないと批判の舌鋒が鋭すぎて後に何も残らなかったんだろう、というくらい、サントブーヴのやり口を痛烈に批判してる。


で、その批判が発展していって、じゃあ本来あるべき作品は何か、というので、結果的に『失われた時を求めて』になったそうな。むかーしむかしのおはなし(市原悦子さんのナレーションで)。


山本貴光さんが今回世に出した『文学問題』も、そうした雰囲気を感じる。いや、漱石を批判してるわけじゃない、「これを発展させていくと、何か別のものが見えてくる」と、そんな気合が充満してる。


本編には「アップデート」という言葉が使われてるし、また実際、「要約してみよう」とかとか、読んでいる人を参加させる構成になってる。


でまた、漱石さんの『文学論』自体がそういう雰囲気を備えてるんだな。思わず口を挟みたくなるような(^∇^)。いやいや漱石さん、あなたはそう考えたかもしれないけど、こっちにはこっちの意見があるよ、と。


普段、自分の趣味嗜好に合う作品に向き合ってると、あんまそういう抵抗を感じる機会がない。書いてあることに関心したり、自分と異なる考えでもそれは納得、ということはあっても、「自分ならこう考えるけどな」なんて具体例をやりながら読まない。


というか、そこまでして向き合う場合、大好きでも大嫌いでも続かないだろう。なにか気になって仕方がないが、そのなにかの正体がわからない、なんて。


さっき例に挙げたプルーストさんが、自分の場合まさにそれ。『失われた〜』は必要に迫られて全巻通読、英語訳、フランス語原文も部分的に通読するとか、まず分量的にヨレヨレになった。


でも一方で、なにかの機会にちょいちょい思い出すし、またフランス語の原文を買ってでも読みたいという珍しいケース。棚を見てても「プルースト」の文字があると反応しちゃうし。


でもそれが先日、プルーストさんの批評選集に触れて、この人はスゴイ人だったんだな、とやっと納得できた。


プルーストを原文で読むモノ好きはあんまいないけど^_^、この『文学問題』では山本貴光さんが伴奏者として付いてきてくれるから、その意味で「気になるけどどうしたものやら」のケーススタディになるかも。


実際、山本貴光さん自身の「気になるけどどうしたものやら」を追体験してるようなもんだから、モヤモヤがある人ほど手に取るといいかもしんない。モヤモヤがハッキリはしないけど、その「モヤモヤにどう向き合うか」のヒントが貰えると思う。



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# by ulyssesjoycean | 2017-11-26 10:46 | Comments(0)

「志村、うしろ!」の脚本術、根本聡一郎『プロパガンダ・ゲーム』

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(アニメ監督の神山健治さんが紹介していた脚本術、思い切り分かりやすく例えると「志村、うしろ!」になるのだそう^_^  でも実際、読者や観客を引き込むタイプの作品はみんなこの「志村、うしろ!」テクニックの名人ばかり。今回読み切った『プロパガンダ・ゲーム』も、志村うしろの完成度に舌を巻いた。双葉文庫から税込710円で発売中。バージョン違いの電子書籍版もあるよ)


フランス語や英語のめんどくさい小説に日頃から向き合っていると、たまに爽快感や疾走感のある作品を読みたいな、という気分になる。


先日手を伸ばした『ボヴァリー夫人』の新訳はおよそそういう内容ではなかったけど、アルベール・カミュの『ペスト』は迫力が凄まじい。


ずっと以前に読んで未だに頭から離れない名作にヴァンダインの『僧正殺人事件』があるけど、ああいう打ち上げ花火的な世界はやはり印象が鮮烈。


ミステリーやサスペンス映画の「やられた!」感や、池上さんと関係のない方の「そうだったのか!」展開はこの手のものを楽しむ醍醐味だなー。


今回、縁あって読了した根本聡一郎さんの『プロパガンダ・ゲーム』も、この手の醍醐味本(*そんな言葉はない)で、夢中になって読み切った次第。


こういう「見ている人を引き込む構成」には、ちゃんとセオリーがあるんですよと教えてくれたのが、他ならぬアニメ監督の神山健治さん。


色んな例を使って説明してくれてたけど、『刑事コロンボ』が一番わかりやすい。番組冒頭で犯人と被害者(になる人)の経緯が語られ、事件が起こり、全てが済んだ後で捜査に現れるコロンボ。


犯人の動機もトリックも、そして冴えない忘れ物ばかりする刑事コロンボが実は相当なキレ者だというのを、スタートから全て知っている人間がただ1人いる。それが「観客」とのこと。


犯人の行動をコロンボは知らない。コロンボの洞察力を犯人は知らない。番組のラストでその二つの情報のズレが一致した時、観客にカタルシスが訪れるというーー


これを名付けて「志村、うしろ!」と言うわけだけど、なんだかコロンボの所でシリアスな語り口をしてたのがアホらしくなるような名称だけど、分かりやすいのだから仕方がない。


なるほど! 良い脚本はそうやって作るのか!!と気がついてから見ていくと、アニメ版の『ちはやふる』はこのテクニックの最高峰という感じすらする。


主要キャラクターが3人なのも「志村、うしろ!」を倍増させる効果が。主要女子Aと主要男子Bは知っているが、主要男子Cは知らない、とかとか。で、その3人の情報がピタッと一致した時、感動の波がドドーン。


で、肝心の『プロパガンダ・ゲーム』はどこへ行ったんだと、書いてる本人もいま気づいたような塩梅だけど、これがうまくできてるんだ。


ある種の情報戦を、正反対の立場のチームAとチームBが繰り広げる。チームAとチームBは飛行機で輸送される時のコング並みに隔離されてるからお互いが何をやってるか知りようがない。


で、読者だけは双方の様子を知ってるわけだけど、それぞれのチームに1名ずつ「スパイ」が紛れ込んでいる、というところがニクい。


『ちはやふる』で言う3人の関係を、チーム戦に置き換えると、チームA、チームB、そしてスパイのCがいる、と。


扇情的なタイトルが付いてるけれども、まずこの「志村、うしろ!」の巧みさに参りました、というのが第一印象。


実際、タイトル通りの方面に読んでいってもいいんだけど、それじゃ自分的にあまり面白くない。名作ゲーム『龍が如く』だって893の話だけど、お話の仕掛けから何から、それだけで通り過ぎるのはもったいない。


実際、根本聡一郎さんの『プロパガンダ・ゲーム』でも、小さいコダワリが徹底されてるので、そこが素晴らしいと。架空の固有名詞がテーマ的に統一されてるとか、ゲームとしてのルールに八百長はないとか。


尊敬するミヒャエル・エンデさんも、キャラクターのネーミングと作品の世界観は統一させてるからこそ、ファンタジーが「絵空事でなくなる」云々。やっぱ細かいところの統一感が大事なんだなーと。


夢中になって読了したのは確かだけど、ううーんと思うところがなくもない。というか、作者の根本さんは(電子書籍を別にすれば)これが商業出版第一号の由。


ふだん目を通してる分野とあまりに違うので、エンタメ系の小説に向き合うまで時間かかったけど、これは読んで良かった。


あとは何より、登場人物たちが不意に漏らす一言や独白が自分のツボだったなー。別に本筋のストーリーとは関係ないんだけど、ボソッと言う、もしくは内心つぶやく一言に気が利いてる。


なんでそういうミニマルなところを面白がるのか分からないけど、実際、面白いんだからしょうがない。


また、「チームA」から『特攻野郎Aチーム』を思い出し、飛行機嫌いのメンバー・コングをなんで例えに使ったのかも、「なんかそう思っちゃったから」ということで勘弁ねがいたい( ´ ▽ ` )ノ



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# by ulyssesjoycean | 2017-11-22 12:00 | Comments(0)

プロダクトデザインのため、超久々にデッサン系にチャレンジ。でもクロッキーがいいな(^∇^)

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(言ってるだけでは仕方ないので、自分の肉眼で見た記憶から、イスをスケッチに起こして見た。ここまで描いてから、しまった! 実際の作りはこうじゃなかった!!と気づいたけど、それはそれで(^∇^))

絵を描く人には2大傾向あり、それが「面派」と「線派」だという。傾向というより「嗜好」みたいなもので、ある程度は生まれた時から決まってる様子。

なんでも、子供向け絵画教室とかやると、意識が面に進む子と線に進む子がいるんだそう。上手い下手のレベルでなく、そのどっちかに意識が向くそうな。へー。

で、自分の場合は圧倒的に「線派」の様子。一時期以降、「筆ペンの一発勝負」を心がけるようになったけど、たしかにそっちの方が自然体。そのため、練習方法もクロッキー系の手法が馴染みやすい。

デッサンの方は、だいぶ前になるけど一回習ってみて、「2次元上に箱を作って、その箱を削り出して目的の形にする」という作業だとわかった。

今回描いたイスもその手法にチャレンジしたんだけど、とにかく根気が続かない。デッサン系の学習は持ち時間:4時間5時間が普通なので、その間、集中し続けるのがキツイ!

*もちろん、このイスだってかけた時間は20〜30分だけど、それでもやってるうちに「飽き」が来てしまう

これもまた随分前に録画した番組で、大友克洋さんがブリューゲルの『バベルの塔』を「自作する」という試みあり、それに触発された部分も。

こっちは久しくクロッキー的な一発勝負しかやってないけど、少しはデッサン系もできるようになったのではないか、なにしろプロダクトデザインは3面図のように「誰が見てもわかる」方がいいだろうーー

前よりは抵抗少なくなったけど、「削り出し」作業を「破綻なく」やってのけるのがなかなかうまくいかない。

ただデッサン系の手法は、技術がキチンと身につけば「一定の能力をコンスタントに発揮できる」んだろうと思う。クロッキー的な筆ペン一発勝負は、「その時の体力と集中力が噛み合わないと、全く描けない」ので振り幅が大きい。

自分のクロッキー絵も、現物を見てザクザクスケッチし、そのあと、「何も見ないで描く」のが一番良いみたい。

大友克洋さんがあれだけ遠近法や構造力学とかをキチッと考えて構造物を作るのは、それを壊すために必要な手続きの由。ご自身のバベルには、壁の厚さのメートル数で記載されてて、そこまでやるんだという気分。

ルソーさんは『エミール』関連の教育書の中で、「子どもにとっては『つくること』と『こわすこと』は等価値だから、それを責めてはいけない」と言ってた記憶が。

自分が構造物をキッチリ描く気力ないのは、つくる=こわす遊びが希薄だからなのかな?と思ったりもする。プロダクトの世界では、作れる人は直す人でもあるわけで、そこは連環してる。

例によって何を言いたいかわからなくてなって来たけど(^∇^)、数学と違って何か取っ付きにくさを感じる物理も、プロダクトデザインの一環としてやればいいのかな。

「長時間座っていて負担が少なく、座ってる姿勢から立ち上がりやすいイス」を作るのがなぜ難しいかは、もうスケッチとか観察の世界ではない気がするもの。

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# by ulyssesjoycean | 2017-11-19 10:35 | Comments(0)

2進数のお友達、16進数を紹介されても、2進数と親しくなってない(^∇^)

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(山本貴光さんの『コンピュータのひみつ』で知った「16進数」。ピコピコで使われる2進数も知らないときに、ええーっ?!16進数?!となったのを覚えている。驚いたというより、馬の耳にどこかの方角から風が吹いてきた感じだった)

ピコピコ武者修行も、いよいよアイドルと関係がありそうで全くない、「ナントカv6」までやってきた。

もともとはそんな深〜い技術の話はお呼びでなかった。ただ、placeでもareaでもない「留イン」さんを知ろうとすると、そっちに進まざるを得ない。

航空会社の名前とよく似てるけどまるで関係ないIANAとか、小浜(元)大統領の「Yes, we can!」ならぬICANNとか、ジャパン・レイルウェイ・ソサイエティの略ではないJPRSとかとか、まーピコピコ網の団体にも色々あるもんだ。

団体と言ったけど、実際、「留イン」を調べていくと、それが単純に「借りてるだけ」ということに落ち着く。「ラジオは免許事業」なんて言われるけど、使っていい周波数帯は「国家の財産」として管理されてる由。

「留イン」さんや、それを通じたIP住所も、ラジオの周波数と似たようなものらしく、「財産=有限の資源」として扱われてるのね。電気ガス水道と同じく、インフラはそれを管理統括運営する団体がないと手に負えない、みたいな。

で、その有限資源、結局はピコピコさん用のものだから、2進数で表記するんだけど、これが人間にはエラくわかりにくい。何しろ桁数がバカでかくなる。

日常で使う十進数を2進数でどう表記するかは数学書を見て知ってたけど、2進数を見て十進数に直すのは出来なかったのだから何ともお粗末。

それがIP住所をやって、やっと「2の乗数の個数を表示してる」と納得できた。1101なら、左から8(2×2×2)が1個、4(2×2)が1個、2(2×1)がゼロ個、1が1個、8+4+0+1で、13になる。

「余は近頃、2進数で計算をしている」とのたまっていたライプニッツさんならともかく、こっちはやっとのことで2進数に納得できた形。今まで何となくスルーしてきただけに、「実感をもって」分かると嬉しいもの。

ところがv6になると、これを16進数でやるからたまらない。せっかく2進数に馴染みができたのに、もう16進数にまで進んじゃうの?という。

16進数は何だっけ、0〜9は数字で、そっから先はA、B、C、D、E、Fで表記するんでしょ。10はAで11はBで、「17」は位取りが変わって16進数だと「11」と表記するはず。

こんなの、2進数にやっと入門した頃合いにやるもんではないな(^∇^)。実感も何もないもの、アルファベットまで入ってくるし。

フランス語を学んだ時も、この「不規則な数字」でえらい困ったことを思い出す。フランス語は20進数だから、80のことは20×4で表記する。

今でこそ、quatre-vingt dix-neuf を十進数で「99」と言えるけど、4×20 + 19=99なんてのは、やり始めた頃には苦痛でしかない。いまだに自信持ってわかるフランス語の数詞は4桁まで(^∇^)

数の扱いは自分の親しんだやり方でないと「実感が持てない」のがシンドイところ。イギリスの小説なんか読んでると、ポンド、シリング、ペニーという通貨単位で頭が痛くなる。

1ポンド=12シリングで、1シリング=30ペンスのはずだから、ポンドとシリングで位取りが異なる。さらには貨幣も異なる。ワーオ。

裏を返せば、一度定着した数値基準を変えるのはとてつもなく大変なのだろう。だからこそ昔の日本の数学は、度量衡に照らして各数値を別な数値に置き換える試験がほとんどだったとか。

しかしなぁ、2進数がやっと馴染みできたと思った頃合いに、2進数のお友達の16進数さんを連れてきました、と言われても(^∇^)

ところが世の中には同じ悩みを持つ人がたくさんいるらしく、窓の基本ソフトには「関数電卓」なんて入ってたそう。これを使えば2〜10〜16進数に自動変換!

持ち運びピコピコようのを探したら、やはりあるのね。使う機会はあんまないだろうけど(^∇^)、読んだ参考書に「これを日常で使ってると親しめる」と書いてあったから。

16進数なんて見たことないよ!と思ってたけど、16進数が3つ並んだ姿を見て、RGBのカラースケールで見てたやつだ!と納得。

たぶんカラースケールに16進数を当てはめた理由もあるんだろけど、今のところ関数電卓で十分です( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-11-17 23:24 | Comments(0)

Twitterで大反響! カメントツさんの『こぐまのケーキ屋さん』が書籍化決定!(早くね?)

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(Twitterで大反響[らしいです]、カメントツさんの『こぐまのケーキ屋さん』が書籍化されるそう。カメントツさんといえば独特の作風と思っていたけど、「たまたま」の試みが爆発するのだから世の中面白い。画像出典:https://mobile.twitter.com/Computerozi/status/930702787859632128/photo/1)

独特の取材マンガを手がけるマンガ家のカメントツさん。「オモコロ」にルポマンガを描いてらしたり、今は『ゲッサン』でマンガ家さんへの取材マンガを執筆してたりする。

木版画ではないのだけど、変わった画風だなーと『ゲッサン』を読んで思っていた。作風もどこかシニカルだし。

それが何の因果か、親戚の子に「おためし」で描いた「こぐまのケーキ屋さん」が大反響。かくいう自分もクマ好きがDNAレベルで反応する魅力! これはいい!!

白黒のマンガ雑誌だと、木版画的なタッチがシニカルに見えたけど、こうして絵本的なタッチになると、むしろ自然に見える。〜〜児童文庫の挿絵みたいな雰囲気で。

じゃんぽ〜る西さんのフランスエッセイマンガも、ひねりのきいたシニカルな作風という印象強かったけど、育児マンガで描かれてる赤さんが可愛らしいのなんの。

今回のカメントツさんのクマさんマンガを読んで、じゃんぽ〜る西さんのマンガについても思い出した次第。もしかして、シニカルな作風の書き手にはメルヘン的な要素がフィットするのか?

何度も例に出してアレだけれど、デビューはしたものの、方向性に迷っていた大武政夫さん。もういよいよ書くことないよというので、今までやったことないジャンルとして「ギャグマンガ」描いたらそれがビシッとハマる。で、傑作『ヒナまつり』があるという。

もっとも、こういうのはさんざん煮詰まった挙句にえいやっ!という思い切りか、それこそ「たまたま」「なんとなく」でやったことが数珠つなぎになるのであって、狙ってやるものではないだろうけど。

でもなんか色々と感慨深いなー。「やりたいことと向いてることは違う」「自分が向いてることは、自分以外の人が知っている」という持論なので、今回のカメントツさんの「こぐまのケーキ屋さん」書籍化話、なんだかやたら印象的。

笑うのが、こぐまのケーキ屋さんの二次創作の展開が早い早い(^∇^)  マンガを音声つきの動画にしたり、羊毛フェルトで実体化したり、こぐまがプレデター(!)になってるパロディまで。

御多分に洩れず、マンガ家のとよ田みのるさんのツイートで知ったけれど、こぐまのケーキ屋さんが絵本になった際は是非「ぎんいろのおかね」で購入したいです( ´ ▽ ` )ノ

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# by ulyssesjoycean | 2017-11-15 19:45 | Comments(0)

日本のソシュール、「言語学者」の本居宣長先生

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(『紫文要領』『石上私淑言』を岩波文庫で読んで大感激、本居宣長さんはスゴイ人だった!といっぺんでファンになる。古文も読めるようになったので、ついに『本居宣長全集』に手を出すことに。)


むかーし何の機会だったか、本居宣長全集を手に取ったときは全く読み進めることができなかった。


その後、色々あって古文をちゃんと学び直した結果、ちょこちょこと古文に親しむ形に。最初に読んでいいな、と感じたのは『土佐日記』かな。


ヘコタレてる時など、古文の落ち着いた雰囲気が素晴らしく感じられる。映画もタルコフスキーとか楽しむようになってるし、こっちの調子を合わせる必要もあるんだなーと。


で、古文をやって一番良かったことが、本居宣長先生の大ファンになったこと。必ず「先生」をつけるくらいだもの(^∇^)


『源氏物語』についての論考は、一語一文もゆるがせにしない徹底した姿勢で、柳瀬尚紀さんがジョイス作品に向き合うような真剣さを感じる。


宣長先生がそういう非常に厳密な考察をやれたのも、言語学者としての素養がそうさせたんだなーと、今回全集を読んでみて思ったな。


言語学なんかで言われる音韻変化がビッチリ書いてある。このときはこうで、この言葉の後に○○が来ると、音がこんな風に変化する、で、その例はコレコレで、と、全く淀みない手つき。


江戸時代にどんな言語学があったか知らないけど、本居宣長先生のやり方など見てると、ソシュールとか、グリムの法則とか、そういう言語学上の立派な仕事に接するときと同じ気分。


その意味で、大変に近代的な学者だったんだなぁーと、感銘を新たにする。実際、「古い日本語トリビア」のように「へぇー、そうだったんだ!」という小さな発見がいくつも。


母語はつい、無自覚・無意識で感覚に流れやすいだけに、それを理路整然と研究しつつ、しかも面白いというのはスゴイ。


もっとも、古い歌を熱心に唱導した稀代の批評家・宣長先生も、ご自分で作られた歌にはあまり見るべきものがないとか。


いいじゃない、あれだけ名作批評を残せば、という気もするし、「歌の実作はそーでもなかった」あたりに、何か人間らしささえ感じるけど( ´ ▽ ` )ノ


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# by ulyssesjoycean | 2017-11-15 12:00 | Comments(0)

シャレオツとは無縁の北欧家具調査。狙いは「イス」だけ!

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(流行とはまるで関係ないところで、北欧家具へのキョーミが湧いた。オシャレ&ステキとは違う文脈から、「イス」について知りたい、で、北欧家具、と、そんな流れ(^∇^))

デッサンスケッチクロッキー、分野は色々だけど、「イス」には前々から関心があった。下手なりに、イスを描こうとした記憶は鮮明にある。

ただそういう個人の嗜好とは全然違うところで、「イス」について考える必要できた。というか、出来てしまった。

タカヤマ文化史では「テーブル」がテーマになってたけど、自分の方はプロダクトデザインの一分野から、イスに興味を持ったという。

というのも、いまは腰をサポートするドクター何とかというスグレモノのイスも開発されてるんだけど、幾つか試してみた結果、「座り心地がいいイスは立ち上がりにくい」ということに気がつく。

座ってしまえばいいんだけど、そこからいざ「立とう」とすると、すごくエネルギーがいる。ソファーとか、深々ゆったり腰かけるものは、身体を相当前に持ってこないと、立つ準備(姿勢)ができない。

座り心地がよくて、しかも立ち上がりやすいイスなんてあるんだろうかーーというので、その辺の目配りをしてるらしい北欧家具ってどうなのかな、と。

なんだっけ? 北欧は日照時間が短いから、特定のビタミンが足りなくなり、結果、骨が脆い人が多くなってしまうとか。それで「負担の少ない家具」を発想しなきゃいけなかった、という話を聞いたことがある。

「聞いたことがある」というのではマズイので、「座り心地がよくて、しかも立ち上がりやすい」イスを考えるにあたり、じゃあ北欧家具を調べてみる?と。

一番は、そういうイスに自分が座ればいいんだけど(^∇^)。プロダクトデザインの学習したら、とにかく「まず製品を使え」と出てくる。

そこで感じたことを、観察や思考やスケッチに反映させる由。見たり観察したりするだけでは不十分、実際に製品を使いなさい、と。たしかにそうだなぁ。

随分まえに『ロビンソン・クルーソー』を読んだら、島についたロビンソンさんが、イスを作るくだりがあった。

イスを作って、その後にテーブルも作るんだけど、「テーブルなしでは何も楽しむことができない」と、独特の英語で綴られてて「そうかなぁ」と。

座布団とタタミの生活を目にしてると、地べたに座っちゃダメなの?と思ってしまう。岩だらけの地面じゃ困るだろうけど、野っ原に腰を下ろすのは悪くないと思うけどなぁ、なんて。

ただまぁ、そんだけテーブルとイスの歴史があるのなら、イスについて考える上ではヨーロッパが大先輩に間違いないわけで、ちゃんと目を通してみたいかなと思います。

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# by ulyssesjoycean | 2017-11-11 12:09 | Comments(0)